天風録 『「原爆スラム」の息遣い』
25年6月3日
表の間はAの所有で裏口はBのもの、その横にはCの表札がかかっているという具合―。被爆者の戦後を作家らがルポした1965年刊「この世界の片隅で」に文沢隆一さんがつづる。70年代まで川沿いに無許可のバラックが雑然と立ち並んでいた一帯のことである▲現在の広島市中区基町。今は高層アパートが並ぶここは、戦後に行き場を失った人々が生きるため身を寄せていた。「原爆スラム」とも呼ばれたが、文沢さんは「根強い生活力」を見た▲同じ頃、自転車で通い詰めてスケッチを続ける学生がいた。二紀会理事の洋画家難波平人(ひらと)さん。広島大で美術を学んだ60年代半ばの作品30点が、市営基町アパート内で初披露されている▲細胞が増殖するごとく横に上に建て増しされた家々を鉛筆やコンテで力強く描く。「不規則な造形に厳しい状況下で生き抜く人間のひたむきさを感じ心引かれた」と難波さん。人は描かれていないのに息遣いが伝わる▲展示会場には当時を知る人、アパート住民、若い芸術家たち多様な人が訪れ、口々に思いを語っていくという。古い素描が、見る者の、この地にまつわる折々の記憶を開封していく。次の公開は、5日から8日まで。
(2025年6月3日朝刊掲載)
(2025年6月3日朝刊掲載)