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[ヒロシマドキュメント 1946年] 6月4日 「とうか祭」戦災死者弔う

 1946年6月4日。爆心地から約1キロにある広島市三川町(現中区)の円隆寺で、被爆前から続く初夏の恒例行事「とうか祭」が開かれた。集った住民たちが踊り、戦災犠牲者を弔った。

 6日付本紙では「手ふり足ふり踊るよ踊る、鄙(ひな)びた太鼓囃子に初夏の短夜は更けてゆく」と祭りの様子を写真付きで紹介。境内にやぐらが組まれ、太鼓やちょうちんも見える。

 4日は、旧暦で端午の節句。住職の中谷康韻さん(41)は「初夏を迎える祭り。とうかさんで四季を感じることが、生きがいにもつながったのでは」と当時を想像する。寺の敷地は現在の4倍あり、祭りを開くのに十分な広さがあった。

 45年8月6日、原爆の熱線と爆風で一帯の建物は全壊全焼した。寺は当時、竹屋国民学校(現竹屋小)と袋町国民学校(現袋町小)の分教場になっており、通っていた約20~30人の多くが命を落とした。

 中谷さんの曽祖父に当たる当時の住職、慈経さん(51年に56歳で死去)は比治山陸軍墓地(現南区)へ朝の供養に出かけており、命は助かった。秋ごろから仮設の本堂を建てるなど、復旧に着手した。

 寺は1619年、旧広島藩主浅野氏の初代長晟(ながあきら)が現在地に創建。ご神体の稲荷大明神を「いなり」ではなく「とうか」と呼び、武士の無事や庶民の安寧を願った祭りは翌年5月に始まったとされる。

 旧暦の端午の節句に合わせた開催は54年まで。その後は新暦の浸透や周辺への経済効果、梅雨を勘案し、開催日や日数が変わった。98年以降は、現行の6月の第1金曜から3日間で定着。400年を超えて歴史をつないできた祭りは、約45万人のにぎわいを見せる。ことしは6月6~8日に開かれる。(山本真帆)

(2025年6月4日朝刊掲載)

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