[戦後80年] 「今思い出しても涙」 柳井中生、被爆と空襲の体験聞く
25年6月5日
柳井市の柳井中で4日、16歳の時に広島で被爆した浅海頼子さん(96)と、学徒動員先の光海軍工廠(こうしょう)(光市)で空襲に遭った森重笑子さん(93)から、戦争体験を聞く授業があった。3年生約190人が地域の住民2人の証言に耳を傾け、戦争の悲惨さや平和の大切さを学んだ。
浅海さんは原爆投下の1945年8月6日、爆心地から2キロ離れた自宅で被爆した。「弟が大やけどを負ったが、薬もなく治療ができなかった。病院前では亡くなった人の火葬が続いた」と語った。戦後は何年もバラックに住んで食料不足に苦しんだ思い出に触れ、「今思い出しても涙が出る。二度と悲惨な戦争が起きないように努力してほしい」と訴えた。
柳井高等女学校(柳井市)2年生だった森重さんは終戦前日の8月14日、出勤した海軍工廠で体験した米軍のB29爆撃機による空襲について語った。「同級生7人が亡くなった。怖くて悲しくて二度とあってはならない」と話した。
3年の清水望永(もえ)さん(14)は「被爆後の生々しい証言が印象的だった。教科書では分からない話で、平和の大切さを感じた」と話した。
授業は、戦争体験者が高齢化して年々少なくなる中、生徒に直接話を聞いてもらい平和について考えてもらおうと、同校が地域住民に協力してもらって企画した。(川井直哉)
(2025年6月5日朝刊掲載)
浅海さんは原爆投下の1945年8月6日、爆心地から2キロ離れた自宅で被爆した。「弟が大やけどを負ったが、薬もなく治療ができなかった。病院前では亡くなった人の火葬が続いた」と語った。戦後は何年もバラックに住んで食料不足に苦しんだ思い出に触れ、「今思い出しても涙が出る。二度と悲惨な戦争が起きないように努力してほしい」と訴えた。
柳井高等女学校(柳井市)2年生だった森重さんは終戦前日の8月14日、出勤した海軍工廠で体験した米軍のB29爆撃機による空襲について語った。「同級生7人が亡くなった。怖くて悲しくて二度とあってはならない」と話した。
3年の清水望永(もえ)さん(14)は「被爆後の生々しい証言が印象的だった。教科書では分からない話で、平和の大切さを感じた」と話した。
授業は、戦争体験者が高齢化して年々少なくなる中、生徒に直接話を聞いてもらい平和について考えてもらおうと、同校が地域住民に協力してもらって企画した。(川井直哉)
(2025年6月5日朝刊掲載)