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[ヒロシマドキュメント 1946年] 6月6日 奨励館を描く写生大会

 1946年6月6日。広島市内の教員有志でつくる「広島児童文化振興会」の企画により、「戦災地写生大会」が開かれた。国民学校の児童たちが、被爆して大破した広島県産業奨励館(現原爆ドーム)に向かい絵筆を握った。

 8日付本紙によれば、約800人が参加し、「爆心地相生橋一帯に幼き芸術家彩管絵巻を繰り広げた」。元安川を挟んだ対岸から奨励館を描く児童たちの姿も。「乏しいクレオン」を使って書き上げた作品は、幟町国民学校(現中区の幟町小)で8月6日前後に展示された。

 振興会は、被爆と敗戦で荒廃した子どもたちの心を癒やそうと、6月に発足。千田国民学校(現中区の千田小)の校長だった伊達高道さんが会長を務め、文芸や音楽の教室などを計画した。8月6日には児童雑誌「ぎんのすず」を発刊する。

 一方で写生大会の会場となった奨励館はれんが造り3階建てで、中央が5階建て。爆心地から約160メートルの至近ながら倒壊を免れ、絵画や写真の題材になった。

 46年8月の中国新聞社の雑誌「月刊中国」や、47年刊の歌集「さんげ」には画家の吉岡一さんが描いた奨励館のイラストがあしらわれた。市は48年の「市勢要覧」で表紙に採用。同年には「原爆名所」13カ所の一つに選んだ。

 写真家の佐々木雄一郎さんは、被爆直後からカメラを向けた。「両手をひろげて何かを訴えかけているようなドームから、限りない励ましのようなものをも同時に感じた。このドームを除外して、ヒロシマを考えることはできない」(70年刊の写真集「ヒロシマ25年 写真記録」)。奨励館前でスケッチをする子どもたちの写真(49年)などが残る。(山本真帆)

(2025年6月6日朝刊掲載)

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