緑地帯 黒住(國本)奏 平和を学ぶ旅⑧
25年6月7日
「平和って何?」。この大きな問いの答えを求めて広島から始まった私の旅は、アメリカ南西部とコスタリカを巡り、湯来町(広島市佐伯区)で暮らしながら今もまだ続いている。今は「平和」という言葉を使うことに、ためらいはない。この旅を通して、「一人一人が真の自分として生きることができる。それが平和な社会である」と、自分の言葉で言えるようになったから。
最近よく考える。「Peace」は動詞でもある。「平和」は「行うもの」だ、と。今の私がしている「peace」は、大学の非常勤講師として学生さんたちと一緒にポジティブな学びの体験をつくること。広島の仲間たちと一緒に、平和教育プログラムを企画して、世界中の人たちと一緒に平和とは何かを考え学び合うこと。通訳や翻訳を通して人々の声を伝えること。そして、日々の暮らしの中で、笑顔で言葉を交わし合いながら、当たり前の毎日を家族や友達たちと一緒につくること。周りの人たち、動物、植物、木、山、川に、感謝と思いやりを忘れないこと。
いろんな人のいろんな「平和」があるけれど、そうやって、自分にとっての小さな平和のかけらを少しずつ、一つずつ創っていく。私がこの旅で歩いてきた道は、今までたくさんの人々が創ってきてくれた平和のかけらでできている。この道の続きを、私も一緒に創っていこう。それこそが、私の平和を学ぶ旅だから。(平和教育ファシリテーター=広島市) =おわり
(2025年6月7日朝刊掲載)
最近よく考える。「Peace」は動詞でもある。「平和」は「行うもの」だ、と。今の私がしている「peace」は、大学の非常勤講師として学生さんたちと一緒にポジティブな学びの体験をつくること。広島の仲間たちと一緒に、平和教育プログラムを企画して、世界中の人たちと一緒に平和とは何かを考え学び合うこと。通訳や翻訳を通して人々の声を伝えること。そして、日々の暮らしの中で、笑顔で言葉を交わし合いながら、当たり前の毎日を家族や友達たちと一緒につくること。周りの人たち、動物、植物、木、山、川に、感謝と思いやりを忘れないこと。
いろんな人のいろんな「平和」があるけれど、そうやって、自分にとっての小さな平和のかけらを少しずつ、一つずつ創っていく。私がこの旅で歩いてきた道は、今までたくさんの人々が創ってきてくれた平和のかけらでできている。この道の続きを、私も一緒に創っていこう。それこそが、私の平和を学ぶ旅だから。(平和教育ファシリテーター=広島市) =おわり
(2025年6月7日朝刊掲載)