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「希望のセンター」 80年代に開設構想 広島のWFC設立 レイノルズさん 平和活動の尽力者紹介

 NPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(WFC、広島市中区)を設立した米国人平和活動家バーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が80年代、被爆地広島に「希望のセンター」を開く構想を描いていた。平和活動に力を尽くした人に光を当てる施設。設立60年を8月に控えるWFCの関係者は「無名でも多くの人が関わったセンターの原点に立ち返らせてくれる」とかみしめる。(山本祐司)

 「広島と長崎に設ける平和の記念に関する考え」と題した手紙でつづられ、82年12月に書いたとみられる。WFCの書庫に複写が残されていた。米ワシントンのベトナム戦争戦没者慰霊碑に着想を得て、平和のために活動した人たちの名前を刻んだ石碑を設ける案に始まる。対象者の肖像や業績を映し出す常設のスクリーンを設け、カードファイルも作る。

 レイノルズさんは65年にWFCを設立し、69年に帰国した。82年11月、病床にあった初代理事長の原田東岷(とうみん)氏を見舞うため広島を訪れ、帰国直後に手紙を送った。広島滞在中の5日間に受け取った千ドル以上の寄付は、基金としてWFCが管理するとある。

 構想した背景には、原爆投下から40年近くたち、広島で平和活動を率いた被爆者たちが相次いで亡くなった当時の状況もあったようだ。別の便箋には「広島の希望の火が薄暗くなっている」と憂いていた。

 WFCが翌83年に発行した機関紙「友愛」には、基金は円換算で35万円と記す。立花志瑞雄(しずお)理事長(69)は基金は手元に今もあるとし、「広島と世界がつながる方法がレイノルズさんの目線でつづられ、示唆に富む。思いを今後の活動にも生かしていければ」と話す。

バーバラ・レイノルズ
 1951年、原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)に赴任した研究員の夫と共に広島へ移住。原爆被害の惨状に胸を痛め、反核・平和運動に取り組んだ。75年に広島市の特別名誉市民。

(2025年6月10日朝刊掲載)

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