[被爆80年] 「日常切られた無念さ感じて」 13歳で被爆死 森脇瑤子さんの遺品 日記など40点 遺族が資料館に寄贈
25年6月10日
1945年8月6日に被爆死する前日までの様子をつづった広島県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年の森脇瑤子さんの日記など遺品約40点が9日、広島市中区の原爆資料館へ寄贈された。日記は兄の細川浩史(こうじ)さん(2023年に95歳で死去)が96年に出版して広く知られる。資料館は今後の展示を検討する。
寄贈されたのは、愛用の万年筆や着物の帯、小学生時代の作文帳など。宮島(廿日市市)の自宅にあったため被災を免れ、両親が形見として大切にしていた。
日記は県女に入学した45年4月6日に始まる。学校や家庭での暮らしが少女の目線でつづられ、8月5日に突然終わる。翌6日、森脇さんは小網町(現中区)で建物疎開の作業中に被爆して13歳で死去した。おいの細川洋さん(66)=中区=は、石田芳文館長に日記を手渡し「誰にでもあった普通の日常がすぱっと切られた無念さを感じてもらいたい」と強調した。
森脇さんの友人も、原爆の悲惨さを伝える資料として日記の活用を期待する。小学校で同学年だった廿日市市の吉田久美子さん(92)は「原爆はむごい。あの時代のことを今の子どもたちに知ってほしい」と話した。(山本祐司)
(2025年6月10日朝刊掲載)
寄贈されたのは、愛用の万年筆や着物の帯、小学生時代の作文帳など。宮島(廿日市市)の自宅にあったため被災を免れ、両親が形見として大切にしていた。
日記は県女に入学した45年4月6日に始まる。学校や家庭での暮らしが少女の目線でつづられ、8月5日に突然終わる。翌6日、森脇さんは小網町(現中区)で建物疎開の作業中に被爆して13歳で死去した。おいの細川洋さん(66)=中区=は、石田芳文館長に日記を手渡し「誰にでもあった普通の日常がすぱっと切られた無念さを感じてもらいたい」と強調した。
森脇さんの友人も、原爆の悲惨さを伝える資料として日記の活用を期待する。小学校で同学年だった廿日市市の吉田久美子さん(92)は「原爆はむごい。あの時代のことを今の子どもたちに知ってほしい」と話した。(山本祐司)
(2025年6月10日朝刊掲載)