[戦後80年 県北] 祖父の海軍記録に光を 三次の藤井さん 大和ミュージアムに寄贈へ
25年6月11日
戦地から手紙 写真や軍服も
三次市塩町の藤井美保さん(54)が、亡き祖父の海軍時代の戦地での記録や写真を自宅に保管している。「戦争を体験した祖父の足跡を眠らせずに役立てたい」。戦後80年を迎え、呉市の大和ミュージアムへの寄贈が決まり、18日に持参する予定だ。(林淳一郎)
祖父の太一さん(1969年に70歳で死去)は現在の三次市吉舎町で生まれ、19年に呉海兵団(現呉市)に入った。経理や軍需品調達の主計業務を担い、呉や京都の舞鶴要港部に勤務。磐手(いわて)や間宮などの艦船で海外航海にも従事し、日中戦争では中国戦線に赴いた。太平洋戦争中、東京で皇族の経理担当もしたという。
「まめな人だったそうです」。藤井さんは亡父たちが語っていた祖父の人柄をしのぶ。残された資料も膨大だ。乗り込んだ艦船や中国戦線の写真をはじめ、軍服や軍刀などを大切にしまってきた。
「在支日誌」は日中戦争中の38年11月~40年5月、中国・上海一帯から、現三次市田幸地区に暮らしていた家族に宛てた手紙。部隊の主計担当として日々の出来事を記して妻に送り、戦後間もなくまとめたようだ。
幼い娘と息子の健やかな成長を祈り、初めて娘から届いた手紙に「どれほど嬉(うれ)しいことだろう」とつづる。戦闘で仲間が死傷する場面も。「全く無意味な戦争だ。東洋平和果(た)して何(いず)れの日来るぞ」と胸の内を吐露する言葉も並ぶ。
「家族を、周りの人たちを大切にした祖父らしい」と藤井さん。太一さんは戦後、田幸地区の農協設立などにも尽力したという。藤井さんは世界各地で争いが絶えない現状を踏まえて願う。「この資料を専門家に委ねて光を当て、これからに生かしてもらえたら。祖父も喜んでくれると思うんです」
(2025年6月11日朝刊掲載)