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平和の願い 次世代に 天皇・皇后両陛下、19・20日に即位後初の広島訪問

 戦後80年の夏を前に、天皇、皇后両陛下は19、20日に被爆地広島を訪問される。即位後の被爆地訪問は初めてとなる。戦没者や災害の被災者たちに心を寄せ続けてきた上皇さまの思いを継承。戦後生まれの「象徴」として、平和への願いを次世代につなぐ。(編集委員・東海右佐衛門直柄)

苦難の歩みに心寄せて

 「今年、戦後80年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に改めて心を寄せていきたい」。天皇陛下は2月の誕生日の記者会見でこう述べ、訪問への強い決意を示された。

 約310万人もの甚大な犠牲者を出した先の大戦は、祖父である昭和天皇の時に「天皇」の名の下に始まり、終わった。この重い歴史を踏まえ、息子の上皇さまは戦没者への慰霊に注力。戦後50、60、70年の節目の年に国内外の戦禍の地を巡り、1981年には「記憶しなければならない四つの日」として沖縄戦終結の日(6月23日)、広島、長崎原爆の日(8月6、9日)、終戦の日(8月15日)を挙げた。

 天皇陛下も幼い頃から「四つの日」に黙とうをしてきたという。戦後70年の2015年には「戦争の歴史が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに…悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と述べている。

 戦後80年の今回の訪問は、4月の硫黄島に始まり、今月は沖縄と広島、9月に長崎と続く。戦争を直接知る世代だけでなく、戦争の記憶を語り継ぐ活動をする人たちとも交流する予定で、平和の尊さを次代に伝える狙いも指摘される。

 被爆地訪問について、ゆかりの人からは歓迎の声が広がる。被爆者で原爆資料館元館長の原田浩さん(85)=広島市安佐南区=は、96年に全国身体障害者スポーツ大会「おりづる大会ひろしま」で広島を訪問した天皇、皇后両陛下が同館を訪れた際に案内役を務めた。「事前にかなり準備をされていた様子で非常に熱心に見学されていた。温かな人柄を感じた」と振り返り、「非戦を訴え続ける被爆地の思いを胸に、多くの国民に接していただきたい」と語る。

被爆地へ関心や思い

 戦争責任を巡って長年苦悩された昭和天皇。跡を継いだ上皇さまは「慰霊の旅」を続けられた。そして戦後生まれの天皇陛下。3人の天皇はそれぞれ被爆地広島への関心と、平和への強い思いを持ってきた。

 昭和天皇は戦争で傷ついた国民に寄り添うため、終戦から半年後に「地方巡幸」を始めた。1947年には広島市を訪れ「災禍に対しては同情にたえない」「われわれはこの犠牲を無駄にすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べている。

 上皇さまは、皇太子時代の49年に初めて広島市を訪問。「あの惨劇に二度と人類を陥れぬよう、私たちは固い決意をもって平和のため進まねばならない」と語った。以降、退位までに市内に四つある原爆養護ホームを全て訪問した。

 天皇陛下は戦後生まれで、2019年に即位した。両親の上皇ご夫妻から戦争について詳しく聞き、平和への思いを強めてきたという。宮内庁によると、広島訪問は皇太子時代を含めて11回目となる。今回は被爆者のほか広島土砂災害(14年)の被災者との懇談も予定されている。

平岡元広島市長に聞く

戦争の記憶 継承へ模索

 天皇、皇后両陛下の広島訪問の意義について、元広島市長の平岡敬さん(97)に聞いた。

 天皇一家にとって、先の大戦は大変重い出来事。昭和天皇の名により戦争が始まり、多くの犠牲者が出た。その重い歴史を上皇さまが継ぎ、今の天皇陛下も被爆地に強い関心をお持ちです。

 実感したのは、1996年に今の上皇さまが広島に来られた時。「本を出されましたね。皇太子から勧められました」と言われた。その年の7月、私は「希望のヒロシマ」(岩波新書)という本を出していました。

 同じ年に皇太子さま(現天皇陛下)とお会いする機会があった。「どこで私の本をお求めになったんですか」と尋ねたら「大学の生協」とおっしゃった。その数年後、今度は園遊会で雅子さま(皇后さま)にお会いした際、「あの本、英訳されたらいいのに」と言われ、驚いた。天皇家の中で1冊の本を3人もお読みになっていた。被爆地に関心を寄せる強い思いを感じました。

 戦後80年の夏。世界では核を巡るきな臭い動きが続き、核抑止力が必要という考えも広がっている。今回、天皇、皇后両陛下が広島でどんな言葉をお話しになるのか。戦後世代が増える中、悲惨な戦争の記憶をいかに次の世代へ継承していくか模索されているのだろう。「広島・長崎を繰り返してはならない」と訴えてきた被爆地の思いを胸に、何らかの表現をしていただけたらと思います。

(2025年6月13日朝刊掲載)

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