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[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 2024年10月11日 被団協に平和賞 発表

 2024年10月11日。広島県被団協理事長の箕牧(みまき)智之さん(83)=北広島町=は広島市役所にある市政記者室の会見場で、ノルウェー・ノーベル賞委員会によるノーベル平和賞の受賞者発表を待っていた。代表委員を務める日本被団協が長く推薦されており、授与が決まった場合に備えた毎年恒例の光景だった。

 核兵器廃絶を訴え、やはり平和賞に推された高校生平和大使の3人も同席していた。午後6時過ぎ、発表のインターネット中継を流していた大使のスマートフォンから「ニホンヒダンキョウ」と声が聞こえた。大使の「えっ」という反応から一拍置き、箕牧さんは言葉を発した。「日本被団協? ええ?」。頰をつねり、先人の労苦を語り、目に涙を浮かべた。

 日本被団協は米軍による原爆投下から11年後の1956年8月に結成。広島、長崎の惨禍をよそに、米国やソ連、英国は核開発にいそしんでいた。原爆被害者は「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意」(結成宣言「世界への挨拶」)を胸に立ち上がった。  核兵器廃絶と被害者救済へ草の根で運動して68年。平和賞受賞は幾度も取り沙汰されたが、選ばれず、期待はしぼみかけていた。

 ノーベル賞委員会のヨルゲン・フリードネス委員長(40)は授賞理由で、被爆者の証言が核兵器使用は道徳的に許されないとする「核のタブー」を確立したとたたえつつ、危機感を示した。「今日、核兵器使用に対するタブーが圧力にさらされている」。欧州や中東で戦火がやまず、核兵器が公然と脅しに使われていた。

 混乱の中で始まった箕牧さんの記者会見は約1時間半に及んだ。「今の気持ち」を問われると「世界の皆さまへ、私たちが生きている間に核兵器をなくしてください。子どもたちが戦場に行かないようにしてください」と呼びかけた。

 日本被団協の代表委員3人で最年長の田中熙巳(てるみ)さん(93)=埼玉県新座市=は自宅近くのスーパーで買い物中に受賞を知った。2カ月後の授賞式に向け、演説内容を考える日々が待っていた。(下高充生)

(2025年6月15日朝刊掲載)

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