『潮流』 8月の声を聴く
25年6月14日
■特別論説委員 岩崎誠
8月13日の放映が楽しみだ。NHKの戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」。被爆者たちの声を私費で収録して回る在野のジャーナリストの役を本木雅弘さんが演じる。
その主人公のモデルには何度か会ったことがある。2009年に72歳で死去した元長崎放送記者で入市被爆者の伊藤明彦さんだ。被爆証言を伝える番組の担当から外されて退社。退職金で買った録音機を手に1971年から21都府県の被爆者を訪ね歩き、肉声を残す営みを手弁当で続けた。
早朝や深夜に働きながら東京、広島、福岡、長崎と転居し、約千人分を収録。編集して全国の図書館や大学、高校などに贈る傍ら被爆の意味を問う著作を執筆した。
93年刊行の「原子野の『ヨブ記』」を手元に置いて時折、読み返す。声を聴けた被爆者の生きざまと伊藤さん自身の思いを重ねた大著では、原爆で全壊した広島一中の校舎から生き延びた男性の生と死が印象深い。
「みなが忘れてしもうたらもっとひどいのが落ちる」。娘をもうけ、母校の殉難の記録を残した元生徒は言い残した。息を引き取ったのは聞き取りの2年後、広島東洋カープが初めて臨んだ75年の日本シリーズ第1戦の日だったという。
盛り上がる広島の街と30年を経た死に思いを寄せた伊藤さんは「原子爆弾はそんな日にも己の作業を遂行していました」と書いた。その筆致に静かな怒りがにじむ。
収録した証言と同じ数ほど断られたらしい。執念を実らせた音声の寄贈はカセットテープ、CDと変わり、ウェブサイト「被爆者の声」でも今は発信される。もらいっ放しの学校などはないだろうか。貴重な業績を埋もれさせたくない。
(2025年6月14日朝刊掲載)
8月13日の放映が楽しみだ。NHKの戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」。被爆者たちの声を私費で収録して回る在野のジャーナリストの役を本木雅弘さんが演じる。
その主人公のモデルには何度か会ったことがある。2009年に72歳で死去した元長崎放送記者で入市被爆者の伊藤明彦さんだ。被爆証言を伝える番組の担当から外されて退社。退職金で買った録音機を手に1971年から21都府県の被爆者を訪ね歩き、肉声を残す営みを手弁当で続けた。
早朝や深夜に働きながら東京、広島、福岡、長崎と転居し、約千人分を収録。編集して全国の図書館や大学、高校などに贈る傍ら被爆の意味を問う著作を執筆した。
93年刊行の「原子野の『ヨブ記』」を手元に置いて時折、読み返す。声を聴けた被爆者の生きざまと伊藤さん自身の思いを重ねた大著では、原爆で全壊した広島一中の校舎から生き延びた男性の生と死が印象深い。
「みなが忘れてしもうたらもっとひどいのが落ちる」。娘をもうけ、母校の殉難の記録を残した元生徒は言い残した。息を引き取ったのは聞き取りの2年後、広島東洋カープが初めて臨んだ75年の日本シリーズ第1戦の日だったという。
盛り上がる広島の街と30年を経た死に思いを寄せた伊藤さんは「原子爆弾はそんな日にも己の作業を遂行していました」と書いた。その筆致に静かな怒りがにじむ。
収録した証言と同じ数ほど断られたらしい。執念を実らせた音声の寄贈はカセットテープ、CDと変わり、ウェブサイト「被爆者の声」でも今は発信される。もらいっ放しの学校などはないだろうか。貴重な業績を埋もれさせたくない。
(2025年6月14日朝刊掲載)