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[ヒロシマドキュメント 1946年] 6月 読者投稿「こだま」で紹介

 1946年6月。中国新聞社の別会社が1日に創刊した「夕刊ひろしま」が、読者の投稿を呼びかけ始めた。「街の声」と題して読者と記者が日頃感じる疑問や思いを毎日載せ、寄せられた意見を基本的に翌週の同じ曜日に「こだま」で紹介した。

 「家庭に明るい話題を提供する読者の新聞」を掲げて出発した表裏2面の夕刊。読者からの投稿コーナーを柱にし、「どうぞ、真実の叫びをドシドシ投書してください」と呼びかけた。

 19日付街の声は「ピカドン公園提唱」。廃虚に響く再建のつち音に「(広島の)教訓が地球上から消えてゆくといふことはまた残念」といい、広島県産業奨励館(現原爆ドーム)など被爆した代表的な建物と、その周囲を公園化するよう提案した。矢賀の読者からの投稿だった。

 26日付こだまで応えたのは二葉の里の読者。「『もうすべてを忘れてしまひたい』ので一ぱいではあるまいか」「廃虚のまゝで残すのでなければ到底想像させることはできないと思ふ」と長文を寄せた。

 12日付の街の声は「腹ペコ休校の余波」。記者が広島、山口両県の学校が食糧不足で休校を強いられていると問題提起。22日付こだまで、呉市の読者が「親たちも例にもれず腹ペコ組」と嘆き、「休日ともなれば、子供の一テツな心が食ふことに熱中するためか、平日よりよけいに食ふ」。農村に手伝いに行かせて食べさせてもらおうかと考えを巡らせていた。

 「こだま」と題した投稿コーナーは、61年から朝刊家庭面で掲載。くらし面で今も続いている。(山本真帆)

(2025年6月18日朝刊掲載)

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