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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 森田裕美 シベリア特措法15年 命や歴史 向き合い方問われる

 私たち最後の生き残りの目の黒いうちに…。マイクを握ったのは100歳の西倉勝さん(相模原市)99歳の吉田欽哉さん(北海道利尻町)98歳の佐藤秀雄さん(東京都練馬区)の3人。いずれも旧ソ連によるシベリア抑留の体験者である。今月上旬東京であったシベリア特措法15年の集いで、政府関係者や国会議員らを前に抑留の全容解明を求め声を振り絞った。

 抑留体験者たちの長年にわたる闘いを経て2010年、議員立法で制定された特措法は16日で15年を迎えた。抑留体験者への特別給付金支給などを柱とする同法は、すでに亡くなった人や、日本人として連行された台湾・朝鮮半島出身者が対象外であるなど問題は残る。それでも「戦後処理は終わった」との立場を貫く日本政府を動かし、遅ればせながら当時生きていた約6万9千人に一時金25万~150万円という一定の補償をさせた意義は大きい。戦後史における画期的立法ともいえよう。

 だが、そこに注目するあまり、この法律の「肝」を忘れていないか。西倉さんたちの訴えを聞き、自戒も込めてそう思った。

 特措法は、政府に強制抑留の実態調査に向け基本方針を定め、抑留者の労苦について国民の理解を深めることを規定する。ロシア政府からの資料の移管、遺骨・遺品収集と遺族への返還、後世への継承も国に課す。制定翌年に閣議決定した基本方針は、関係省庁が連携して国内外の民間団体などの協力を得ながら実態調査に取り組み、関係国にも協力を要請することを明記する。

 ところが戦後80年たつ今も、どれだけの人がどこでどのように亡くなったのか正確な死者数さえ不明なのが実情だ。例えば厚生労働省は、抑留者数を約57万5千人、抑留中死亡者を約5万5千人とするが、公表している死亡者名簿にあるのは4万5千件余り。総務省所管の平和祈念展示資料館(東京)の展示では約60万人が抑留され約6万人が亡くなったとの記載もあり、推計にばらつきがある。

 抑留された中には女性や少年、台湾・朝鮮半島出身者もいたとみられるが、内訳は不明だ。「語り継ごうにも、これでは実態が明らかになっているとはいえない」と西倉さんは疑問を投げかける。

 西倉さんたちが、とりわけ胸を痛めるのが、現地に眠る遺骨の問題である。だが新型コロナウイルス禍やロシアによるウクライナ侵攻もあり、政府の遺骨収集は大幅に遅れている。

 「不当な扱いによって生きて祖国に帰れなかったご遺体が一日も早く祖国の地に帰れるようお願いする」と佐藤さん。吉田さんも「赤紙一枚で国の言う通りにして亡くなった人たち。せめて家族に返すべきです。最後まで責任を負って」と語気を強める。

 抑留体験者の平均年齢は102歳。旧ソ連の管理地域に2千カ所以上あったとされる収容所周辺に土地勘がある人は減り、遺骨収集は今後ますます困難になろう。関東学院大の小林昭菜准教授(日ロ関係史)は「戦後80年は非常に重い数字」と話し、埋葬地の確認や遺骨収集を急ぐ必要性を説く。集いを主催した「シベリア抑留者支援・記録センター」の有光健代表世話人も「なぜこのような抑留が起きたのか、もっと積極的に解明に動いて、再発防止策を講じるのが国の責務」と話す。

 国際法に反して捕虜を不当に抑留し過酷な労働を強いた旧ソ連の非人道的な行いは許されない。だが日ソ共同宣言で請求権を相互放棄した以上、日本政府が責任を持って存命者に慰謝し、真相を解明するとともに、後の世に語り継ぐ―それが特措法の趣旨のはずだ。

 政府は調査や遺骨収集が困難な現状に甘んじることなく、外交交渉や、民間団体・研究者らとの協力などやれることから前に進める姿勢を見せてほしい。政府が一人一人の命や歴史にいかに向き合っているか。戦後80年の節目は、それも問われている気がする。

(2025年6月19日朝刊掲載)

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