[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 2025年6月 運動 継承に危機感 証言紡ぐ
25年6月23日
2025年6月21日。福山市の平逸雄さん(80)が市北部の神辺文化会館であった集会で、自身の被爆体験を話した。80年前の1945年8月6日は、まだ生後48日。「生まれてすぐで何も記憶がありません。何を話そうか困りました」。集まった200人超に率直に打ち明け、語り始めた。
爆心地から約2キロの広島市大須賀町(現南区)の自宅で原爆に遭った。同じく家にいた母も、勤務先の広島駅で被爆した父も生前、それ以上語らなかった。頼ったのは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(中区)に残る父の手記。「沢山(たくさん)の被爆者が半狂乱で続々逃げており、水を飲ましてくれと頼まれ飲ませて息切れる者多くまるで生地獄」と読み上げた。
父の胸中思い
集会は、広島県被団協(箕牧(みまき)智之理事長)と県原水禁が企画。広島市に比べ被爆証言を聞ける場が少ない県内地域でその機会を設けようと7月5日までに三次、廿日市、三原の3市でも開く。県被団協の地域組織の一つ、福山市原爆被害者友の会の副会長を務める平さんは5月に「証言」を打診された。
昨年、市内の小学校からの依頼で初めて引き受け、今回が2回目。「親がわが子に語れないほど悲惨だった8月6日を黙って風化させてはいけない」。手記に惨禍を刻みながら自分には口を閉ざした父の胸中に思いをはせ、臨んだ。
「核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください」。昨年12月の日本被団協へのノーベル平和賞授賞式で代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(93)は、証言を聞く重要性を訴えた。今年5月に県被団協理事の田中聡司さん(81)たちがフランスに招かれるなど、広島から海外の証言の場に立つ運動も続いている。
一方で被爆者の高齢化や死去に伴い、20年余り前に約70あった県被団協の地域組織は今は28。もともと56年に県内各地の組織が団結して結成されただけに、事務局長の熊田哲治さん(68)は「次の世代が地域の会の会員になってくれないと、県被団協が成り立たない」と危機感を抱く。
2世らに託す
自身は父が原爆に遭った被爆2世で、被爆者の心身の傷を間近で見て運動に駆り立てられた。次世代に運動を広げるには当事者意識が大きな課題とみる。4市での集会は参加者が地元の被爆者の声をじかに聞き、意識を育むきっかけにと期待する。今月13日の総会には約40人が参加し、「2世や私たちの思いを継いで活動する人」に県被団協の運動を託そうという「基本の考え」を確認した。
そのために、熊田さんは「私たちが求めてきたことを私たちが知る必要がある」とも。総会後には、県被団協初代理事長の森滝市郎さん(94年死去)と活動を共にした県原水禁代表委員の金子哲夫さん(76)が講師を務め、運動史の勉強会をした。核兵器廃絶との2本柱で求めてきた原爆被害への国家補償は、国に戦争への責任を認めさせ、「過ちを繰り返さない、させないことにつながる」と説いた。
同じ13日、事実上の核兵器保有国イスラエルがイランの核関連施設へ空爆。箕牧理事長は「戦争は国家が起こすが、犠牲になるのはいつも国民だ。『もうやめなさい』と訴えたい」と報道陣に語気を強めた。22日には米軍が核施設を攻撃する事態に発展。被爆者は核兵器だけでなく戦争をなくすための運動をつなぎ、声を上げ続ける。(下高充生)
(2025年6月23日朝刊掲載)
爆心地から約2キロの広島市大須賀町(現南区)の自宅で原爆に遭った。同じく家にいた母も、勤務先の広島駅で被爆した父も生前、それ以上語らなかった。頼ったのは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(中区)に残る父の手記。「沢山(たくさん)の被爆者が半狂乱で続々逃げており、水を飲ましてくれと頼まれ飲ませて息切れる者多くまるで生地獄」と読み上げた。
父の胸中思い
集会は、広島県被団協(箕牧(みまき)智之理事長)と県原水禁が企画。広島市に比べ被爆証言を聞ける場が少ない県内地域でその機会を設けようと7月5日までに三次、廿日市、三原の3市でも開く。県被団協の地域組織の一つ、福山市原爆被害者友の会の副会長を務める平さんは5月に「証言」を打診された。
昨年、市内の小学校からの依頼で初めて引き受け、今回が2回目。「親がわが子に語れないほど悲惨だった8月6日を黙って風化させてはいけない」。手記に惨禍を刻みながら自分には口を閉ざした父の胸中に思いをはせ、臨んだ。
「核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください」。昨年12月の日本被団協へのノーベル平和賞授賞式で代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(93)は、証言を聞く重要性を訴えた。今年5月に県被団協理事の田中聡司さん(81)たちがフランスに招かれるなど、広島から海外の証言の場に立つ運動も続いている。
一方で被爆者の高齢化や死去に伴い、20年余り前に約70あった県被団協の地域組織は今は28。もともと56年に県内各地の組織が団結して結成されただけに、事務局長の熊田哲治さん(68)は「次の世代が地域の会の会員になってくれないと、県被団協が成り立たない」と危機感を抱く。
2世らに託す
自身は父が原爆に遭った被爆2世で、被爆者の心身の傷を間近で見て運動に駆り立てられた。次世代に運動を広げるには当事者意識が大きな課題とみる。4市での集会は参加者が地元の被爆者の声をじかに聞き、意識を育むきっかけにと期待する。今月13日の総会には約40人が参加し、「2世や私たちの思いを継いで活動する人」に県被団協の運動を託そうという「基本の考え」を確認した。
そのために、熊田さんは「私たちが求めてきたことを私たちが知る必要がある」とも。総会後には、県被団協初代理事長の森滝市郎さん(94年死去)と活動を共にした県原水禁代表委員の金子哲夫さん(76)が講師を務め、運動史の勉強会をした。核兵器廃絶との2本柱で求めてきた原爆被害への国家補償は、国に戦争への責任を認めさせ、「過ちを繰り返さない、させないことにつながる」と説いた。
同じ13日、事実上の核兵器保有国イスラエルがイランの核関連施設へ空爆。箕牧理事長は「戦争は国家が起こすが、犠牲になるのはいつも国民だ。『もうやめなさい』と訴えたい」と報道陣に語気を強めた。22日には米軍が核施設を攻撃する事態に発展。被爆者は核兵器だけでなく戦争をなくすための運動をつなぎ、声を上げ続ける。(下高充生)
(2025年6月23日朝刊掲載)