×

ニュース

[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 2025年6月 被爆者相談

終わらぬ被害 支援尽力

 2025年6月。広島県被団協の被爆者相談所(広島市中区)は開設から間もなく30年になる。理事長の佐久間邦彦さん(80)たち5人が交代で相談員を務め、被爆者健康手帳の取得や手当の申請を支援。平日は毎日扉を開ける。

 12日には、相談所長の山田寿美子さん(82)のもとを安佐北区の女性(84)が訪ねた。80年前は4歳で米軍の原爆投下時の明確な記憶はない。直接被爆は免れたが、被爆者の救護を手伝ったなどと亡き叔母から聞いており、手帳を取得できないかという相談だった。

 「親戚に聞こうにもその頃はまだ生まれていなかったか、もう亡くなっているかで…」。一定の条件で認められる「救護被爆」をどう証明するか悩みを打ち明けると、山田さんは丁寧に書き留めた。自身も被爆して家族を失い、苦難の戦後を強いられた。「80年というのは重いですね」。証人候補がいないか一緒に頭をひねった。

健康不安増す

 24年度の相談件数は234件で、記録の残る02年度の1468件からは大きく減った。ただ、年齢を重ねて健康面の不安が増し、今になって申請を思い立つ人がいる。女性のような相談は絶えず寄せられる。原爆投下後の放射性物質を含む「黒い雨」で、被爆者の新認定基準の運用が22年度に始まり、関連する内容も目立つ。

 中には被爆者に向けられた偏見や差別が今も影を落とす事例がある。事務局長の望月みはるさん(74)によると、被爆した父を捜すため幼くして母に連れられて入市した人が、証拠になるはずの亡き母の手帳申請書にその記述がないために手帳を取得できていない。わが子への差別を恐れたためとみられる。「原爆被害は過去の問題になったわけではない」と訴える。

 県内では、箕牧(みまき)智之さん(83)が理事長を務める県被団協や加盟する各地域組織も相談事業に取り組む。ほかに、県内の病院のソーシャルワーカーを中心にした「原爆被害者相談員の会」も40年以上にわたり被害者支援を続けている。

 桜下美紀さん(44)は市内の病院で働きながら手帳取得や、がんを患った被爆者の原爆症認定の申請を後押ししている。「手続きのためにつらい過去を思い出してもらうのに申し訳なさも感じますが、声を上げる必要性を説明しています。被害を我慢するよう強いられ、過小評価されてきた歴史があると」

受忍論を問う

 念頭にあるのは戦争被害は国民が等しく耐えるべきだとする「受忍論」を記した「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の1980年の意見書。答申を受けた国はそれを盾に放射線被害の範囲での援護策を堅持した。会は翌81年に発足し、原爆が強いた被害を受忍できないと訴えてきた。

 メンバーは、医療や介護の現場で援護策の問題を多く感じてきた。やけど痕のケロイドをはじめ熱線、爆風による外傷・傷痕や、それに伴う差別、偏見による心の苦しみは無視に等しい。手帳交付も原爆症認定も老いる被害者に厳しい立証が求められ、本来戦争を始めた国が自らの責任で進んで償うべき被害者に我慢を強いている―。

 代表の三宅文枝さん(71)は「核兵器を使うと、いのち、くらし、こころに何が起こるのか相談現場から見えてくる」。被害を継承し、実態を伝える一環で、毎年8月6日に「証言のつどい」を開き、今年も10人近くが証言する。基本懇意見書が出た12月には受忍論を問うシンポジウムを続け42回を数える。(下高充生)

(2025年6月22日朝刊掲載)

年別アーカイブ