被爆建物の訴え 後世届ける使命 原爆ドーム「特別史跡」答申 保存工事携わった高橋さん
25年6月21日
被服支廠なども担当
「あの日」の惨禍を無言で訴え続ける象徴的存在を、いかに後世に残すか―。国の特別史跡に指定される見通しとなった原爆ドーム(広島市中区)。保存工事に携わってきた清水建設広島支店(同)の高橋伸二工事長(65)は、ドームの訴求力に心を揺さぶられた一人だ。今は国重要文化財「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)の安全対策工事に向き合う。(加納亜弥)
ドームはかつて保存と撤去で世論が割れ、崩壊の危機にあった。子どもたちの保存運動を機に官民を挙げた募金運動に発展し、保存へ道が開けた。管理する市は被爆22年後の1967年から保存工事を5回し、全て清水建設が請け負った。
高橋さんは89年の第2回工事で初めてドーム内に足を踏み入れた。「最初は『がれき』だと思った。壊れゆくものを、何のために、どう保存すればいいんだろう、と」。当時を思い返す。
そのがれきの風景は、2020年の第5回工事で監理技術者として現場を指揮した際に色づき始める。ふと見たドーム前身の県立商品陳列所時代のモノクロ写真に心を動かされた。現場でいつも見るモダンな円柱の後ろにテーブルを囲む人々が写っていた。「この笑顔と憩いの場が一瞬で奪われたのか」。被爆建物を守る意味をかみしめた。
工事では、ピンクに近い色だった天井の鋼材を被爆当時に近い焦げ茶色に塗り直した。技術的に苦労したのは柱のひび割れの補修という。模型で試験を繰り返し、注射器での手作業で液剤を注入する手法を考えた。見えないひびの行き先を予想し、五感を頼りに圧力を調整。「路面電車の音しか届かない空間での作業。ドームと自分が一体になったようだった」
高橋さんは旧日本銀行広島支店(中区)の復元工事も22、23年に担当。被服支廠の工事では責任者を務める。「いつかは朽ちるその日を、いかに遅らせるかが私たちの仕事」。これからも一人でも多くの人に、被爆建物の訴えを感じてもらうために。
(2025年6月21日朝刊掲載)