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手紙の亡き友 姉妹は健在 広島市女の元生徒、本紙で遺族探し 「大事に保管 感激」

 被爆死した広島市立第一高等女学校(市女、現市立舟入高)の「古川妙子」さんが、同級生へ送った二通の手紙の存在を報じた中国新聞の記事を通じ、古川さんの姉妹が健在なことが十二日分かった。

 神奈川県藤沢市に住む妹の後藤睦子さん(65)は「原爆で両親も亡くなり、自宅は焼けました。三つ違いの姉の手紙が大事に保存されているのを知って感激しました。拝見するだけでもうれしい」と話している。広島県佐伯郡に住む病の姉に代わって中国新聞社に連絡を寄せた。

 後藤さんによると、古川さん一家は封書の裏にあった「広島市榎町一ノ一」から原爆投下直前の八月、爆心〇・六キロの中区堺町に転居した。医師だった父は市外への疎開を禁じられていた。自宅で両親と姉ら計五人が亡くなり、妙子さんは現在の平和記念公園南側一帯の建物疎開作業に動員され、市女の生徒五百四十人とともに被爆死した。小学六年の後藤さんは、学童疎開で広島県双三郡にいた。

 手紙は、広島市西区高須二丁目の麻生(旧姓三上)泰子さん(67)が一九四五(昭和二十)年三月末と四月に受け取り、保管していた。特集紙面「遺影は語る 広島市女2年」で、一年の時に同じクラスだった古川さんの死を知った麻生さんが「ご遺族に形見としてお返ししたい」と中国新聞社に手紙を寄せた。十日付紙面で報じたところ、市女の同窓生や親族から「妙子さんの姉妹は今も健在」との情報が寄せられた。

(1999年3月13日朝刊掲載)

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