「相互扶助」実践した画家 埼玉の丸木美術館 望月桂展 大杉栄らと交友 先駆的な創作
25年6月24日
「相互扶助」の語中の字、「扶く」は「たすく」と読む。「自由を扶くひと 望月桂」展が、原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)で開かれている。取り上げたのは、大正―昭和初期の無政府主義、社会主義運動の人脈に連なる望月桂(1886~1975年)。さまざまな弾圧にさらされた仲間と助け合い、自由を求め続けた画家を発掘した。(道面雅量)
望月は長野県安曇野市出身。東京美術学校(現東京芸術大)西洋画科に進み、同期には藤田嗣治や人気漫画家となる岡本一平たちがいる。現状、画家としての名はほとんど知られていないが、藤田らとコスモス会というグループをつくり、実力を認め合った仲だった。
その歩みはしかし、エリート画家のレール上にとどまらなかった。卒業後に長野県内の中学に美術教師として赴任した1910年、社会主義者や無政府主義者が摘発され、幸徳秋水ら12人の処刑に至る大逆事件に衝撃を受ける。自らも「主義者」の側につく心を固め、12年に再上京。印刷業などを経て大衆食堂「へちま」を開き、店は社会運動家のたまり場となった。
17年、へちまを拠点に「平民美術協会」を設立、19年には「黒耀(こくよう)会」をつくる。黒耀会展は、日本でのアンデパンダン(無鑑査自由出品)展の先駆けとなり、無政府主義運動の中心にいた大杉栄、社会主義運動のリーダー堺利彦、民俗学者の橋浦泰雄、演歌師の添田唖蝉坊(あぜんぼう)たち美術の枠を超えた面々が参加した。
本展では、この時期までの望月の画業を重点的に紹介。二松学舎大准教授で「アナキズム美術史」を著した足立元さんを代表とする「望月桂調査団」が近年、長野の旧宅の蔵で発見した資料が大きく貢献した。
黒耀会第2回展の出品作「反逆性」は、人や車がせわしなく動き回る都市の石畳を斬新な構図で描くが、タイトルが警察を刺激したらしく、会場からの撤去を命じられたという。公開を続けたため持ち去られた後、当の警察に盗難届を出したエピソードが残る。
獄中で亡くなった運動仲間の俳人、和田久太郎の遺灰を庭にまき、育てた花を押し花にして仲間に封書で送った行為も一つの芸術として紹介。大杉の肖像画や、堺が賛を寄せた墨画など、同志との絆を映す作品は多い。漫画表現に軸を置いた戦中期や、郷里で農業と美術教育に生きた戦後の足跡もたどる。
会場の丸木美術館は、丸木位里・俊夫妻の連作「原爆の図」を常設展示する傍ら、意欲的な企画展を重ねてきた。建物の老朽化を受けた改修のため9月29日から約2年の長期休館に入るが、所蔵品によらない企画展の締めくくりに本展を選んだ。
敗戦後、占領軍による検閲の残る50年代初めに「原爆の図」を全国巡回させた丸木夫妻と仲間にも、望月たちと重なる相互扶助が息づいていただろう。今現在にも多くを語りかけてくる、この館ならではの展覧会だ。7月6日まで、6月30日は休館。
(2025年6月24日朝刊掲載)
望月は長野県安曇野市出身。東京美術学校(現東京芸術大)西洋画科に進み、同期には藤田嗣治や人気漫画家となる岡本一平たちがいる。現状、画家としての名はほとんど知られていないが、藤田らとコスモス会というグループをつくり、実力を認め合った仲だった。
その歩みはしかし、エリート画家のレール上にとどまらなかった。卒業後に長野県内の中学に美術教師として赴任した1910年、社会主義者や無政府主義者が摘発され、幸徳秋水ら12人の処刑に至る大逆事件に衝撃を受ける。自らも「主義者」の側につく心を固め、12年に再上京。印刷業などを経て大衆食堂「へちま」を開き、店は社会運動家のたまり場となった。
17年、へちまを拠点に「平民美術協会」を設立、19年には「黒耀(こくよう)会」をつくる。黒耀会展は、日本でのアンデパンダン(無鑑査自由出品)展の先駆けとなり、無政府主義運動の中心にいた大杉栄、社会主義運動のリーダー堺利彦、民俗学者の橋浦泰雄、演歌師の添田唖蝉坊(あぜんぼう)たち美術の枠を超えた面々が参加した。
本展では、この時期までの望月の画業を重点的に紹介。二松学舎大准教授で「アナキズム美術史」を著した足立元さんを代表とする「望月桂調査団」が近年、長野の旧宅の蔵で発見した資料が大きく貢献した。
黒耀会第2回展の出品作「反逆性」は、人や車がせわしなく動き回る都市の石畳を斬新な構図で描くが、タイトルが警察を刺激したらしく、会場からの撤去を命じられたという。公開を続けたため持ち去られた後、当の警察に盗難届を出したエピソードが残る。
獄中で亡くなった運動仲間の俳人、和田久太郎の遺灰を庭にまき、育てた花を押し花にして仲間に封書で送った行為も一つの芸術として紹介。大杉の肖像画や、堺が賛を寄せた墨画など、同志との絆を映す作品は多い。漫画表現に軸を置いた戦中期や、郷里で農業と美術教育に生きた戦後の足跡もたどる。
会場の丸木美術館は、丸木位里・俊夫妻の連作「原爆の図」を常設展示する傍ら、意欲的な企画展を重ねてきた。建物の老朽化を受けた改修のため9月29日から約2年の長期休館に入るが、所蔵品によらない企画展の締めくくりに本展を選んだ。
敗戦後、占領軍による検閲の残る50年代初めに「原爆の図」を全国巡回させた丸木夫妻と仲間にも、望月たちと重なる相互扶助が息づいていただろう。今現在にも多くを語りかけてくる、この館ならではの展覧会だ。7月6日まで、6月30日は休館。
(2025年6月24日朝刊掲載)