緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間①
25年6月24日
執筆家、写真家、絵描き、デザイナーなどの肩書で仕事をしているが、私の場合アートワークの基盤にあるのは全て絵だと思っている。構図や色味といった感覚的なことだけでなく、物の考え方や組み立て方という思考的なところもだ。
子どもの頃から絵を描くことが好きで、絵を描く時間欲しさに美術大にも行った。そこで写真と出合い、卒業後はグラフィックデザイナーとして働いた。そして渡米し、海外を放浪しながら3年間「平和的瞬間」をテーマに写真を撮りつづけた。旅の途中でチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世のポートレートも撮影。帰国後、写真でいくつかの賞を受賞し、写真がライフワークの一つとなった。同時に旅の経緯を執筆したことを契機に執筆業にも携わり、いくつかの書籍を刊行してきた。
52歳で1児を授かってから再び絵を描くことが多くなった。6年前、広島を舞台に描いた絵本「あっちがわ」も出版した。
作品は、自分の経験から生まれてくる。その自分が形成される要因は、多感な子ども時代に培われる。穏やかな瀬戸内の海と陽(ひ)の当たる山に囲まれた独特な風土の中で育ち、原爆ドームを象徴とする平和への意識が個人の思惑から自立している人々とともに暮らしてきた。この環境は大いに作品に影響している。表現方法のルーツが「絵」であるなら、私の思想のルーツは「広島」である。(作家=東京都)
(2025年6月24日朝刊掲載)
子どもの頃から絵を描くことが好きで、絵を描く時間欲しさに美術大にも行った。そこで写真と出合い、卒業後はグラフィックデザイナーとして働いた。そして渡米し、海外を放浪しながら3年間「平和的瞬間」をテーマに写真を撮りつづけた。旅の途中でチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世のポートレートも撮影。帰国後、写真でいくつかの賞を受賞し、写真がライフワークの一つとなった。同時に旅の経緯を執筆したことを契機に執筆業にも携わり、いくつかの書籍を刊行してきた。
52歳で1児を授かってから再び絵を描くことが多くなった。6年前、広島を舞台に描いた絵本「あっちがわ」も出版した。
作品は、自分の経験から生まれてくる。その自分が形成される要因は、多感な子ども時代に培われる。穏やかな瀬戸内の海と陽(ひ)の当たる山に囲まれた独特な風土の中で育ち、原爆ドームを象徴とする平和への意識が個人の思惑から自立している人々とともに暮らしてきた。この環境は大いに作品に影響している。表現方法のルーツが「絵」であるなら、私の思想のルーツは「広島」である。(作家=東京都)
(2025年6月24日朝刊掲載)