[戦後80年] 沖縄悲劇 もう二度と 広島学院高生ら追悼の集い
25年6月24日
戦後80年の沖縄「慰霊の日」を迎えた23日、太平洋戦争中に撃沈された沖縄の学童疎開船「対馬丸」の犠牲者や沖縄戦の戦没者を追悼する集いが広島市南区の比治山陸軍墓地であった。沖縄戦を学ぶ広島学院高(西区)の生徒が企画した。
同高や広島女学院高(中区)の生徒や教諭、沖縄戦の遺族計37人が参列。対馬丸の学童を悼む銘板が併設された陸軍船舶砲兵部隊の慰霊碑前で黙とうし、献花した。広島県府中町の小山正善さん(80)が沖縄戦で自決した父が妻に宛てて「とにかく子どもの声が聞きたい」などとつづった手紙を読み上げ、「平和の大切さを発信してほしい」と生徒に呼びかけた。
広島学院高の生徒は12月に沖縄を訪れる。2年の福原和磨さん(17)は米軍によるイランの核施設の攻撃に伴う戦禍の拡大を懸念しつつ、「沖縄の歴史を学んだ上で自分にできることを考えたい」と話した。(樋口浩二)
(2025年6月24日朝刊掲載)
同高や広島女学院高(中区)の生徒や教諭、沖縄戦の遺族計37人が参列。対馬丸の学童を悼む銘板が併設された陸軍船舶砲兵部隊の慰霊碑前で黙とうし、献花した。広島県府中町の小山正善さん(80)が沖縄戦で自決した父が妻に宛てて「とにかく子どもの声が聞きたい」などとつづった手紙を読み上げ、「平和の大切さを発信してほしい」と生徒に呼びかけた。
広島学院高の生徒は12月に沖縄を訪れる。2年の福原和磨さん(17)は米軍によるイランの核施設の攻撃に伴う戦禍の拡大を懸念しつつ、「沖縄の歴史を学んだ上で自分にできることを考えたい」と話した。(樋口浩二)
(2025年6月24日朝刊掲載)