緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間②
25年6月25日
生まれ育った広島の街を舞台に描いたこわい絵本「あっちがわ」の展示会を、一昨年から2度ほど東京タワーで開催した。1度目は原画をメインに、2度目は新作を紙芝居にして展開、その後もいくつかのイベントに参加した。昨年8月6日には東京タワーの展望台でライブペインティングを行い、原爆の恐怖をモチーフにしたお話を1本描き上げた。どちらの絵も私が住んでいた広島市安芸区船越町の背後にそびえ立つ岩滝山を舞台に選んだ。
私が中学2年のとき、この岩滝山の上に学校が移転した。それまで20分だった通学時間が、40分以上もかかる苦行の道となった。しかし慣れてくると意外と楽しく、毎日が遠足になった。絶景ポイントもいくつもあり、浮遊感覚で歩いたものだった。黄金山に比治山、そして市街地の頭上高く浮かんでいる雲を見上げると、時折ある光景が浮かんできた。巨大なきのこ雲だ。もちろん実際に見えているわけではない。空想だと分かっていても足が震えるくらい、恐ろしいものだった。
平和を強く訴えるのではなく「あの日」を思い出してもらえるきっかけになればという思いで白い絵の具を重ねまくった。この作品は、原爆ドームの中で昼寝をしている野良猫の写真と並べて展示し、訪れた人たちにメッセージを書いてもらった。東京タワーは海外からの旅行者が多く、平和を願うメッセージもさまざまな言語で埋め尽くされた。後日談につづく。(作家=東京都)
(2025年6月25日朝刊掲載)
私が中学2年のとき、この岩滝山の上に学校が移転した。それまで20分だった通学時間が、40分以上もかかる苦行の道となった。しかし慣れてくると意外と楽しく、毎日が遠足になった。絶景ポイントもいくつもあり、浮遊感覚で歩いたものだった。黄金山に比治山、そして市街地の頭上高く浮かんでいる雲を見上げると、時折ある光景が浮かんできた。巨大なきのこ雲だ。もちろん実際に見えているわけではない。空想だと分かっていても足が震えるくらい、恐ろしいものだった。
平和を強く訴えるのではなく「あの日」を思い出してもらえるきっかけになればという思いで白い絵の具を重ねまくった。この作品は、原爆ドームの中で昼寝をしている野良猫の写真と並べて展示し、訪れた人たちにメッセージを書いてもらった。東京タワーは海外からの旅行者が多く、平和を願うメッセージもさまざまな言語で埋め尽くされた。後日談につづく。(作家=東京都)
(2025年6月25日朝刊掲載)