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三良坂 つなぐ8・6 <下> 平和を願う会

■記者 桜井邦彦

地道な活動受け継ぐ

 「『平和の看板だけではだめだ』。吉岡雅樹町長(1992年死去)が声を上げ、形にした」。74年に三良坂町(現三次市)職員となった市三良坂支所長の渡辺健次さん(56)は振り返る。

 住民の署名運動を受け、三良坂町議会が非核平和自治体宣言を決議したのが86年。吉岡町政下で90年に三良坂平和公園、91年には三良坂平和美術館と、平和を目指す「形」が次々整備された。

 根源に、87年の町長期総合計画に盛り込まれた「平和 人権 文化」の理念がある。宣言した86年、被爆者団体やPTAなど町内の26団体で結成した平和を願う会が活動の原動力。8月6日の追悼集会などに取り組む。

 「戦争も原爆も、知らないで繰り返されるのが心配。子どもたちのため、小さい行動でも続けたい」。同支所で働く藤川あゆみさん(38)は強調する。

 三良坂で生まれ育ち旧町の職員となった91年、平和への特別な意識はなかった。転機は95年9月。フランスの核実験だった。

 朝、自宅でニュースを見て「三良坂で何か行動しないの」と、ふと疑問に思った。職場で同僚に話すと座り込みの案が出た。町職員労働組合を通じた呼び掛けで、昼には町民ら42人が集まって役場前で座り込んだ。

 なぜ、こんなに人が集まったのか―。この思いから、三良坂と平和の関係を調べ、願う会の活動に積極的にかかわり始めた。

 その後、座り込みは今年5月26日まで核実験のたび行われ、41回を数える。延べ2760人が参加した。

 「三良坂は地味で地道な活動を続けた。何が人を引きつけ、輪が広がるか分からない。私のように」と藤川さん。仕事の傍ら、俳優の吉永小百合さんに5年間手紙を書き続け、2003年6月の原爆詩の朗読会を実現した。

 昨年まで、原爆の日が近づくと吉永さんのメッセージが届いた。その縁で、6~7月に美術館で作品展を開いた画家の男鹿和雄さんとの親交も生まれた。

 吉岡氏の後、合併まで町長だった願う会会長の湯免龍夫さん(71)は「吉岡さんなら、もう少しできたんじゃないかと思ったりする。『平和をみんなのものに』と、活動してきたが、十分に広まっていない」と言う。

 合併した市域全体への広がりの弱さが、湯免さんの悩み。「願う会を、三次市全体へ発展的なものにしていくべきではないか」

三良坂平和公園
 1990年に完成した。記念碑「母と子―わたす像」、像をテーマに作られた栗原貞子さんの詩碑「わたすの母子像」、町内出身の洋画家・故柿手春三氏の作品を所蔵する三良坂平和美術館、被爆50周年に制作した大壁画などがある。

(2009年8月3日朝刊掲載)

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