[被爆80年] 供養塔遺骨 1人遺族判明 2年ぶり 1625人目
25年6月27日
平和記念公園(広島市中区)の原爆供養塔に納められている約7万人分とされる遺骨のうち、新里武夫さんの遺族が被爆から80年を前に判明した。全国に掲示されている納骨名簿を見て、市へ問い合わせたのがきっかけ。これまで弔われてきたことに感謝し、永久安置を望んでいる。遺族判明は2023年以来、1625人目。市が26日発表した。(下高充生)
市によると、遺族から昨年11月に問い合わせがあった。名前のほか、所属していた中国軍管区砲兵補充隊の「111部隊上田部隊本部」などについて、市の情報と遺族の話を照合し、特定できた。隊は広島城(現中区)付近に拠点を置いていた。詳しい被爆場所などは不明という。
遺族は市を通じ「広島に行き、亡くなったことは聞いていましたが、まさか、このような連絡を受けて驚いています。長期間、供養していただき大変感謝しています」とのコメントを出した。
遺族が判明した遺骨のうち1002人は引き取られ、残りは永久安置されている。また、名前が分かりながら引き取り手のない遺骨は812人となった。市は今月30日に、自治体や被爆者団体への本年度の納骨名簿の発送作業をする。新里さんの名前は削除する。
被爆直後、旧中島地区の慈仙寺跡が犠牲者の遺体の火葬場になり、散在する遺骨を集めて供養するため、1946年5月に卒塔婆をかたどった供養塔が建てられた。間もなくして「月命日」の法要が始まり、今も続いている。55年8月に市が中心となって現在の供養塔が完成。内部に納骨堂がある。
(2025年6月27日朝刊掲載)
市によると、遺族から昨年11月に問い合わせがあった。名前のほか、所属していた中国軍管区砲兵補充隊の「111部隊上田部隊本部」などについて、市の情報と遺族の話を照合し、特定できた。隊は広島城(現中区)付近に拠点を置いていた。詳しい被爆場所などは不明という。
遺族は市を通じ「広島に行き、亡くなったことは聞いていましたが、まさか、このような連絡を受けて驚いています。長期間、供養していただき大変感謝しています」とのコメントを出した。
遺族が判明した遺骨のうち1002人は引き取られ、残りは永久安置されている。また、名前が分かりながら引き取り手のない遺骨は812人となった。市は今月30日に、自治体や被爆者団体への本年度の納骨名簿の発送作業をする。新里さんの名前は削除する。
被爆直後、旧中島地区の慈仙寺跡が犠牲者の遺体の火葬場になり、散在する遺骨を集めて供養するため、1946年5月に卒塔婆をかたどった供養塔が建てられた。間もなくして「月命日」の法要が始まり、今も続いている。55年8月に市が中心となって現在の供養塔が完成。内部に納骨堂がある。
(2025年6月27日朝刊掲載)