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社説・コラム

社説 米大統領の発言 核使用の結末を直視せよ

 核が人類に何をもたらすのか、いまだ想像さえできないのだろう。またしてもトランプ米大統領から、信じ難い言葉が飛び出した。

 米軍によるイランの核施設攻撃がイスラエルとイランの「戦争を終結させた」とし、広島・長崎への原爆投下と「本質的に同じ」と述べた。原爆を引き合いに自らを正当化する発言であり、断じて許されない。「いつものトランプ氏の軽口」と見過ごすわけにはいかない。

 思うようにならない相手を、法も秩序も無視して軍事力でねじ伏せる。そんなトランプ氏にとって原爆は「威力」であり、「人間的悲惨」として捉えることができないのだろう。80年前に米国が投下した原爆が、今に至るまでどれだけの人の命を奪い、苦しめてきたか。核超大国のリーダーとして非人道性と投下国の責任を思い知るべきだ。

 米国では「戦争を終結させ多くの米兵の命を救った」と原爆投下を正当化する声が根強い。近年は否定的な考えの若者も増えているというが、トランプ氏は旧来の「原爆神話」を疑わないのだろう。

 今回の発言は、批判にさらされた大型特殊貫通弾(バンカーバスター)によるイランの核施設攻撃を正当化し、自身の決断力やリーダーシップを世界にアピールする狙いがあるのかもしれない。核施設が完全には破壊できていないといった国内の批判をかわしたい側面もあろう。

 解せないのは、自ら「唯一の戦争被爆国」と強調する日本政府が抗議も反論もしないことである。林芳正官房長官は「原爆投下は大変多くの尊い命を奪い、言葉に尽くせない苦難を強いた。人道上極めて遺憾な事態をもたらした」としつつ「歴史的な事象に関する評価は専門家により議論されるべきだ」と逃げた。

 「歴史的事象」とはどういう感覚なのだろう。ヒロシマ・ナガサキは昔話ではなく、全人類にとっての生きた教訓だ。核施設攻撃を正当化する材料として使われたことを、黙って許してはなるまい。

 広島市議会はきのう、原爆投下を正当化するトランプ氏の発言は容認できないなどと決議した。被爆地の議会として当然の反応だろう。

 80年たった今なお、被爆者たちは心身に癒えない痛みを抱える。それでも「二度と同じ思いをほかの誰にもさせてはならない」との思いでつらい記憶を語り、核兵器は要らないと国内外で訴えてきた。

 そうした地道な努力が核兵器禁止条約として実を結び、昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞にもつながったといえよう。しかしトランプ氏の発言は、その訴えが届くべきところに届いていない現実を突き付けた。私たちは声をより大きくしていきたい。

 トランプ氏は大量の核兵器と強大な軍事力を持つ国のリーダーとして被爆地を訪れ、自国の核兵器が何をもたらしたのか、その目で確かめる必要がある。原爆資料館にも足を運び、被害者の遺品や言葉に触れてほしい。核兵器がもたらすのは人類の「死」であることを学ばねばならない。

(2025年6月27日朝刊掲載)

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