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平和記念公園に眠る古里「元柳町」よ 旧住民らが8月6日に追悼式 55年ぶり 「平和の誓い新たに」

 原爆で町ごと壊滅し、広島市中区の平和記念公園となった「元柳町」ゆかりの人たちが八月六日、五十五年ぶりに町の跡で追悼式を営む。旧住民らでつくる「柳生会」(上田良三代表)と、町内にあった森永食糧工業(現・森永製菓)広島支店の関係者からなる世話人が二十一日、市内で打ち合わせをし、「二十世紀最後となる節目の原爆忌に集い、死没者を慰め、平和への誓いを新たにしよう」と話し合った。

 この日は、父の代から続く繊維雑貨卸を中区で営む八十四歳の上田さんや、森永OBの桧阪悟さん(80)ら七人が集まり、式次第や懇親会の内容などを協議した。消息が分かった旧住民と森永職員の遺族約八十人に手紙を送り、東京や岡山を含む四十一人が参列を予定しているという。

 遺族たちは返信に添えて「祖母の遺骨はなく八月六日は、母が健在なころは公園内で一緒に手を合わせていました」「原爆資料館で入館者を案内するピースボランティアに参加しています」と、亡き家族への思いや近況を記していた。

 世話人の一人で両親を失った竹原市西野町、主婦森川耐子さん(73)は「被爆から半世紀を超えて遺族も代替わりし、初めて会う人も多いと思います。今は平和記念公園となった場所に町があり、多くの人が無残に死んだ事実を伝えていきたい」と話していた。

 本川に面した元柳町には約四十の民家・事業所があり、デルタ広島の繁華街の一角を成した。被爆と公園建設で町名も消え、連絡がついた数少ない旧住民たちは「柳生会」として一九七〇年ごろから町並みの記録作成や、懇親を続けるようになった。中国新聞社が五月に「ヒロシマの記録―遺影は語る」で元柳町の被災状況を報じたのを機に、森永広島支店にも呼び掛け、初の追悼式を開くことを決めた。連絡先は世話人の山瀬明さんTEL082(878)0543。

(2000年7月22日朝刊掲載)

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