戦艦陸奥の鉄 響く慰霊の鐘 群馬の曹洞宗福増寺 乗組員の悲劇 檀家らが継承
25年6月30日
群馬県渋川市の曹洞宗福増寺の鐘は半世紀前、瀬戸内海で引き揚げられた戦艦陸奥の鉄を使って造られた。太平洋戦争中の1943年、謎の爆発を起こし、1121人が犠牲になった悲劇の戦艦。寺では檀家(だんか)や元乗組員たちが慰霊や継承の思いを深め、輪が広がっている。(山本祐司)
福増寺は名峰・赤城山の麓にあり、美しい庭園で知られる。鐘は境内を見渡す鐘楼の2層目につるされている。
戦時中に供出した鐘に代わり、74年に鋳造された。その際、70年に引き揚げが始まった陸奥の鉄が炉に入れられたという。現場に立ち合った檀家総代の男性(故人)が中心になり、鐘の戻った寺で慰霊祭が毎年営まれるようになった。
横山和弘住職は「少人数でほそぼそとした慰霊祭でしたが、総代が何より熱心でした」と振り返る。男性は、爆沈の日の6月8日に山口県周防大島町で毎年開かれる慰霊祭にも参列した。そこで知り合ったのが、元乗組員で現在102歳の篠原喜一さん。爆沈を生き延びた350人の一人だ。
群馬県境に近い長野県小海町に住む篠原さんは男性の話を聞き、寺を訪ねた。15年ほど前のことだ。横山住職は、神妙に鐘を突いた篠原さんの姿を覚えている。「思いを伝えようと来られたのでしょう。生きることをためらうようなつらさがあったのでは」
寺での慰霊や継承は、篠原さんが来訪を重ねる中で広がりを見せた。境内には陸奥の記念碑が建てられ、沈没地点の岩国市柱島沖を模した庭も造られた。遺族にとっても、いっそう特別な場に。叔父が爆沈で犠牲になった檀家の星野隆司さん(75)は寺での慰霊祭に毎年参加し、庭で手を合わせて焼香する。
前橋市の根岸洋子さん(45)は、軍艦を擬人化した人気のオンラインゲーム「艦隊これくしょん」にはまり、陸奥ゆかりの寺として通い始めた。乗組員の食事を再現して参拝者に振る舞うことも。本堂にある、海に投げ出された篠原さんと艦体の巨大さを比べられる模型も根岸さんのアイデアだ。篠原さん自身も、陸奥の記憶をしたためた書や絵を寺に何枚も寄せている。
「偶然が重なり、陸奥を伝える人の輪ができた」と横山住職。これからも思いをつないでいく。
(2025年6月30日朝刊掲載)
福増寺は名峰・赤城山の麓にあり、美しい庭園で知られる。鐘は境内を見渡す鐘楼の2層目につるされている。
戦時中に供出した鐘に代わり、74年に鋳造された。その際、70年に引き揚げが始まった陸奥の鉄が炉に入れられたという。現場に立ち合った檀家総代の男性(故人)が中心になり、鐘の戻った寺で慰霊祭が毎年営まれるようになった。
横山和弘住職は「少人数でほそぼそとした慰霊祭でしたが、総代が何より熱心でした」と振り返る。男性は、爆沈の日の6月8日に山口県周防大島町で毎年開かれる慰霊祭にも参列した。そこで知り合ったのが、元乗組員で現在102歳の篠原喜一さん。爆沈を生き延びた350人の一人だ。
群馬県境に近い長野県小海町に住む篠原さんは男性の話を聞き、寺を訪ねた。15年ほど前のことだ。横山住職は、神妙に鐘を突いた篠原さんの姿を覚えている。「思いを伝えようと来られたのでしょう。生きることをためらうようなつらさがあったのでは」
寺での慰霊や継承は、篠原さんが来訪を重ねる中で広がりを見せた。境内には陸奥の記念碑が建てられ、沈没地点の岩国市柱島沖を模した庭も造られた。遺族にとっても、いっそう特別な場に。叔父が爆沈で犠牲になった檀家の星野隆司さん(75)は寺での慰霊祭に毎年参加し、庭で手を合わせて焼香する。
前橋市の根岸洋子さん(45)は、軍艦を擬人化した人気のオンラインゲーム「艦隊これくしょん」にはまり、陸奥ゆかりの寺として通い始めた。乗組員の食事を再現して参拝者に振る舞うことも。本堂にある、海に投げ出された篠原さんと艦体の巨大さを比べられる模型も根岸さんのアイデアだ。篠原さん自身も、陸奥の記憶をしたためた書や絵を寺に何枚も寄せている。
「偶然が重なり、陸奥を伝える人の輪ができた」と横山住職。これからも思いをつないでいく。
(2025年6月30日朝刊掲載)