×

社説・コラム

[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 時間差あり揺れる表記 長崎は変更

Q 8時15分は「投下」?「さく裂」?

 原爆が投下され、さく裂するまでには時間差がありました。長崎市は近年、投下時刻としていた「午前11時2分」をさく裂の時間に変えました。2020年にホームページで変更し、同市の原爆資料館の説明板も順次更新するそうです。理由として、11時2分投下の明確な資料がなく、「被害が始まった時間として認識されてきた」ことなどを挙げています。

 広島の「午前8時15分」はどうでしょう。市が刊行した主な資料を見てみます。広島新史(1984年)や市被爆70年史(18年)などには「投下」とあります。

 しかし70年代以前の資料には、「さく裂」の表記もありました。広島原爆戦災誌(71年)は、市の防衛課長が確認した庁舎内の止まった時計から、8時15分を「さく裂時間の決定となった」と記します。新修広島市史(61年)もさく裂です。

 市によると、現在は投下で統一しているそうです。原爆を投下した米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイの副操縦士の航空日誌に記された「15分30秒―原子爆弾投下」などに基づきます。

 一方で、日本側の記録では、それより数分遅いものもあります。旧広島地方気象台(現中区江波南)の記録用紙には手書きで「爆風8h18m6」。8時18分6秒という意味でしょう。呉海軍警備隊の中野探照灯台(現安芸区)は、17分に「閃光(せんこう)あり」と記します。

 8時15分は投下なのか、さく裂なのか。表記は揺れますが、ずっと変わらないこともあります。市民の黙とうです。被爆1年後の46年、市は8時15分からの黙とうを呼びかけました。翌47年に始まった平和記念式典の前身の平和祭をはじめ、朝鮮戦争のあおりで平和祭が中止になった50年も8時15分(当時はサマータイムで9時15分)の祈りは継がれました。

 ことしは80回目の黙とう―。市民や平和を願う人にとって、8時15分からの1分間が特別な時間であることに変わりはありません。(桧山菜摘)

(2025年6月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ