緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間③
25年7月1日
東京タワーで展示した原爆と平和をモチーフにした作品の後日談。この二つの作品を缶バッジにして、売り上げは全て日本ユニセフ協会に寄付する「寄付ガチャ」にしませんかというお話を、日本ガチャガチャ協会さんよりいただいた。このプロジェクトは前年より、とある高校と行っているという。その名を聞いて時が止まった。日本全国で5千近い数の高校があるというのに、わが母校である広島県立海田高だったのだ。偶然もここまでくると必然である。
私事だが、この時期父母が相次いで他界し、実家もあっという間に更地となった。自分の部屋もそのまま残っていたし、いつでも帰れるものだと思っていたのに、ぽっかりと穴があいてしまった。広島での自分の居場所がなくなり喪失感を感じていただけに、今回のお話には深い縁を感じざるを得なかった。
この件での取材の一つが海田高で行われることになり、昨夏、42年ぶりに母校の門をくぐることになった。古めかしいコンクリートの校舎、それらをつなぐ渡り廊下、広々としたグラウンドも当時のままで、昔の自分をあちらこちらで見つけることができた。当時と同じ制服を着た生徒さんとゆっくりお話をする機会もいただけた。
変わりゆく景色、変わらない空気、そして新たな出会いが、自分の居場所となる。まるで目に見えぬ何かに温かく迎え入れてもらったような不思議な感覚があった。またいつでも気の向くまま帰ろうと思う。(作家=東京都)
(2025年7月1日朝刊掲載)
私事だが、この時期父母が相次いで他界し、実家もあっという間に更地となった。自分の部屋もそのまま残っていたし、いつでも帰れるものだと思っていたのに、ぽっかりと穴があいてしまった。広島での自分の居場所がなくなり喪失感を感じていただけに、今回のお話には深い縁を感じざるを得なかった。
この件での取材の一つが海田高で行われることになり、昨夏、42年ぶりに母校の門をくぐることになった。古めかしいコンクリートの校舎、それらをつなぐ渡り廊下、広々としたグラウンドも当時のままで、昔の自分をあちらこちらで見つけることができた。当時と同じ制服を着た生徒さんとゆっくりお話をする機会もいただけた。
変わりゆく景色、変わらない空気、そして新たな出会いが、自分の居場所となる。まるで目に見えぬ何かに温かく迎え入れてもらったような不思議な感覚があった。またいつでも気の向くまま帰ろうと思う。(作家=東京都)
(2025年7月1日朝刊掲載)