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連載・特集

緑地帯 イシズマサシ モメント・イン・ピース 平和的瞬間④

 私は牛乳が飲めない。好き嫌いの話ではなく、とある幼時体験がもとで飲めなくなったのだ。あれは昭和40年代初頭、私がまだ5歳くらいの頃のこと。広島駅前の売店でジュースを飲んでいると、とつぜん隣でゴボッとポンプで水をくみ上げるような音がした。次の瞬間、頭から生暖かい水をかけられたような不快な感触があった。おどろいて見上げると、頭上から真っ赤な顔をした男性がすぐ目の前に迫ってきた。恐ろしくなって泣き叫ぶと、男は逃げていった。凄絶(せいぜつ)な恐怖と全身に浴びた臭いのせいで私も吐いた。そのとき周囲にいた誰かが「アメリカのせいだ」と言ったのを覚えている。

 後で分かったのだが、顔にやけどを負った被爆者が、飲んでいた牛乳にむせて吐いたのだ。しかし、この時の私はアメリカが国であるという認識がまだできておらず、怪物のようなイメージを持ったのだった。その後、原爆のことを知り、あの日の出来事がトラウマとなった。

 時を同じくして、映画や玩具や音楽と、次々にアメリカ文化が押し寄せてきた。私はアメリカに強い憧れを抱くようになった。恐怖と憧れ、この矛盾した二つの気持ちは、大人になるまでずっとつづいた。「アメリカ」は幼少期に降り注がれた呪いの言葉に思え、この正体をいつか探りたいと思っていた。こう書くとまるでファンタジーのようだが、これが若き日の渡米の理由であり、後につづく3年の旅のプロローグである。(作家=東京都)

(2025年7月2日朝刊掲載)

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