[戦後80年 備後] 福山空襲「地獄のよう」 近大付中福山 体験の91歳特別授業
25年7月4日
福山市街地が焦土と化した福山空襲について学ぶ特別授業が、同市佐波町の近畿大付属広島中福山校であった。当時、国民学校6年生だった近藤茂久さん(91)=同市古野上町=が登壇し、1年生約130人を前に体験を証言した。
1945年8月8日夜、近藤さんは警報の音を聞き、近所の防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。しかし、入り口から転がり込んできた1発の焼夷(しょうい)弾によって顔にやけどを負ったという。
近藤さんは「町全体が火の海で、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえて地獄のようだった」と、近くの小川へ避難した道中を振り返った。食糧難対策のために植えられていた芋畑のつるに何度も足を取られたことも語った。
石井千尋さん(12)は「防空壕は安全だと思っていた。近藤さんが顔にけがをしたと聞いて、どんな気持ちで逃げたんだろうかと思った」と話していた。(頼金育美)
(2025年7月4日朝刊掲載)
1945年8月8日夜、近藤さんは警報の音を聞き、近所の防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。しかし、入り口から転がり込んできた1発の焼夷(しょうい)弾によって顔にやけどを負ったという。
近藤さんは「町全体が火の海で、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえて地獄のようだった」と、近くの小川へ避難した道中を振り返った。食糧難対策のために植えられていた芋畑のつるに何度も足を取られたことも語った。
石井千尋さん(12)は「防空壕は安全だと思っていた。近藤さんが顔にけがをしたと聞いて、どんな気持ちで逃げたんだろうかと思った」と話していた。(頼金育美)
(2025年7月4日朝刊掲載)