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連載・特集

苦しみ、葛藤… 時系列でたどる 来月17日まで 東京都写真美術館で「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」

 東京都写真美術館(東京・恵比寿)で開催中の「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」(主催・中国新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、中国放送、共同通信社)は、1発の原爆によって約14万人ともいわれる市民が犠牲になった被害の実態を写真162点と映像2点でつぶさに伝える。

 撮影したのは市民、新聞社の写真記者、写真家ら27人と2団体。1945年8月6日から同年末までを時系列でたどり、地域壊滅のさま、人間の苦しみ、撮影者の葛藤と記録への意思を感じ取ることのできる展示構成になっている。その概要を紹介する。(金崎由美)

きのこ雲の下で-8月6日の記録

 8月6日の「あの日」の撮影者は、広島市や近郊におり、自らも被災して死と紙一重の市民だった。極限的な混乱の中、立ち上る原子雲や、猛烈な爆風と熱線で炎上する街などを撮影した。中国新聞社の写真記者だった松重美人(よしと)氏が御幸橋西詰め(現中区)で撮影した2枚と、皆実町3丁目(現南区)で罹災(りさい)証明書を書く警察官を捉えた1枚は、被災当日の市民の惨状を市内で撮影した写真として唯一現存する。「きのこ雲」の下にあった人間の悲惨を伝えている。

焦土の街 人間の悲惨-あの日からの1ヵ月

 原爆が投下された翌日の8月7日から、終戦を経て連合国軍総司令部(GHQ)による占領期に入る前後にかけての約1カ月間は、朝日新聞、毎日新聞、同盟通信(共同通信の前身)などの報道機関の写真記者たちも大阪などから相次ぎ広島入りし、一面の焼け野原、大やけどに苦しむ市民、混乱を極めた救護の実態にカメラを向けた。脱毛や皮膚の紫斑など、原爆放射線による急性障害で死にゆく被爆者を捉えた最初期の写真も残る。

遠い再建 占領下の苦闘-1945年末まで

 日本は9月2日に降伏文書に調印し、占領統治が本格化する。広島で「75年は草木も生えない」などといわれた時期の写真は、健康被害や生活の困窮に直面する市民の姿、復興のわずかな兆しを捉える。9月下旬から10月にかけては日本映画社の撮影班が広島を歩き、記録性の高い写真と映像を撮影した。

 ただ、GHQは9月19日にプレスコード(報道検閲)を発令。米国批判になりかねない原爆記録写真は「封印」され、占領が終わる52年までほとんど公開されなかった。

人類への警鐘の記録 受け継ぐ責任

 広島原爆の記録写真と映像の所蔵や保存・活用に努めてきた報道機関が連携し、原爆資料館や撮影者の遺族からも協力を得て展覧会を開くのは初めてである。

 きっかけは、2023年に中国、朝日、毎日の新聞3社と中国放送、NHK、広島市が国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界の記憶」への国際登録を目指し、「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」として写真1532点、映像2点からなる資料群を共同申請したことだった。

 展示中の写真162点と映像2点は、資料群からの抜粋だ。うち写真30点余は原爆資料館でも常設展示されている。多くは、終戦時の混乱と旧日本軍による文書焼却、プレスコードと米軍からの提出要求をくぐり抜けて現存する。撮影者のあらがいと強い意志で残されてきた。核兵器使用の危機が叫ばれる今、資料は「決して繰り返してはならない」という人類への警鐘でもある。

図録販売 レストハウスでも

 「ヒロシマ1945」展で展示している写真のうち116点を収録した図録=写真=を同館2階のミュージアムショップで販売している。B5判134ページ。税込み2420円。広島では平和記念公園レストハウスで取り扱っている。

会期中に館内イベント

 展示への理解を深める館内イベントが会期中にある。

 ■中国新聞社の水川恭輔編集委員によるトークイベント「広島の原爆記録写真の撮影者 証言からたどる」 10日午後6時~7時半、1階ホール。事前申し込み不要。無料。当日午前10時から1階総合受付で整理券を配布。

 撮影者たちは焼け野原で何を目の当たりにし、どんな思いに駆られたのか。証言映像や手記からたどる。

 ■ギャラリートーク 17日午後6時~7時半と、31日午後2時~3時半の2回。いずれも地下1階展示室。事前申し込み不要。当日有効の入場券が必要(無料の対象となる人は、証明書などの提示が必要)。主催各社の担当者が勢ぞろいし、リレー形式で展示資料を解説する。



 「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」は8月17日まで。月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日休館)。一般800円、大学生以下無料、65歳以上500円。

(2025年7月7日朝刊掲載)

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