[戦後80年 備後] 福山空襲の記憶伝える 何かが防空壕をかすめた直後 驚くほどの衝撃
25年7月7日
戦後80年に合わせ、福山市丸之内の市人権平和資料館が6日、1945年8月の福山空襲の体験者や広島の被爆体験証言者による講演会を始めた。初回は、福山市野上町の森近静子さん(87)が空襲の状況を語った。
森近さんは当時、霞国民学校(現霞小)2年生。8月8日夜、両親に起こされて防空壕(ごう)に避難すると、光りながら「シャー」と音を立てて何かが壕をかすめた。直後、数センチ跳び上がるほどの衝撃があり、翌朝に確認すると、近くに不発弾が着弾して深い穴ができていた。
森近さんは「父が福山はもう駄目じゃと話し、母はすすり泣いていた。(平和な世なら)経験しなくてもいいことを経験することになった」と振り返った。
森近さんは市民団体「ふくやまピース・ナビ」の一員として証言を続ける唯一の空襲体験者。「今後も体と心が続く限り活動を続けたい」と力を込めた。
講演会には約70人が参加。同市草戸町の誠之館高1年神垣光甫さん(15)は「当時の緊迫感が伝わってきた。自分たちの世代が伝えていくことが大事だと思った」と話していた。次回は8月24日に被爆体験証言者が講演する。(佐々木裕介)
(2025年7月7日朝刊掲載)
森近さんは当時、霞国民学校(現霞小)2年生。8月8日夜、両親に起こされて防空壕(ごう)に避難すると、光りながら「シャー」と音を立てて何かが壕をかすめた。直後、数センチ跳び上がるほどの衝撃があり、翌朝に確認すると、近くに不発弾が着弾して深い穴ができていた。
森近さんは「父が福山はもう駄目じゃと話し、母はすすり泣いていた。(平和な世なら)経験しなくてもいいことを経験することになった」と振り返った。
森近さんは市民団体「ふくやまピース・ナビ」の一員として証言を続ける唯一の空襲体験者。「今後も体と心が続く限り活動を続けたい」と力を込めた。
講演会には約70人が参加。同市草戸町の誠之館高1年神垣光甫さん(15)は「当時の緊迫感が伝わってきた。自分たちの世代が伝えていくことが大事だと思った」と話していた。次回は8月24日に被爆体験証言者が講演する。(佐々木裕介)
(2025年7月7日朝刊掲載)