[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 安浦海兵団(呉市安浦町) 戦争末期に新兵を教育
25年7月5日
呉市安浦町の中心部にはかつて旧海軍が新兵教育のために設置した安浦海兵団があった。1944年9月から終戦までの短期間しか存在せず、地元でも知る人は少ない。郷土史に詳しい元市職員大下一弘さん(70)は「軍事機密だったため資料は乏しい。ただ、今の安浦を形作るきっかけになった」と説明する。
海兵団設置を前に海軍は行政区の統一を要請。44年1月に三津口と内海、野路の旧3町村が合併し「浦、安かれ」との願いが込められた安浦町が誕生した。海兵団の名残は、旧安浦町が今のまちづくりセンター三津口分館そばに建てた記念碑とJR安浦駅北の配水池跡、そこから海兵団に水を運んだ鉄管橋くらいだ。
安浦町史によると、塩田だった660万平方メートルを軍が買収。突貫工事で兵舎や庁舎、病舎、調理場など約30棟を建てた。3万人規模の国内最大級の海兵団にする計画だったという。45年に事務方として働いた中倉勇さん(100)=広島市佐伯区=は「戦況悪化で仕事らしい仕事はなく、新兵の訓練もまともにできたかどうか」と首をかしげる。
敗戦で海兵団は解散。残された兵舎は、原爆投下のため移転してきた広島女子高等師範学校(現広島大教育学部)、県立医学専門学校(現広島大医学部)が使った。その後に進出した企業は撤退し、今は住宅団地などになっている。(栾暁雨)
(2025年7月5日朝刊掲載)
海兵団設置を前に海軍は行政区の統一を要請。44年1月に三津口と内海、野路の旧3町村が合併し「浦、安かれ」との願いが込められた安浦町が誕生した。海兵団の名残は、旧安浦町が今のまちづくりセンター三津口分館そばに建てた記念碑とJR安浦駅北の配水池跡、そこから海兵団に水を運んだ鉄管橋くらいだ。
安浦町史によると、塩田だった660万平方メートルを軍が買収。突貫工事で兵舎や庁舎、病舎、調理場など約30棟を建てた。3万人規模の国内最大級の海兵団にする計画だったという。45年に事務方として働いた中倉勇さん(100)=広島市佐伯区=は「戦況悪化で仕事らしい仕事はなく、新兵の訓練もまともにできたかどうか」と首をかしげる。
敗戦で海兵団は解散。残された兵舎は、原爆投下のため移転してきた広島女子高等師範学校(現広島大教育学部)、県立医学専門学校(現広島大医学部)が使った。その後に進出した企業は撤退し、今は住宅団地などになっている。(栾暁雨)
(2025年7月5日朝刊掲載)