×

ニュース

[ヒロシマドキュメント 1946年] 7月 住吉神社で夏季例祭

 1946年7月。広島市水主町(現中区)の住吉神社が2日間にわたり夏季例祭を営んだ。夏の無病息災を祈る「すみよしさん」は、胡子大祭やとうかさんと並ぶ広島三大祭り。氏子たちがみこしを担ぎ、焦土の市街地を練り歩いた。

 「空元気ぢゃないよ」との見出しの7月14日付中国新聞では、鉢巻きをした氏子たちが上流川町(現中区)の中国新聞社前を威勢良く通る様子を写真付きで紹介。「昔懐しいお神輿(みこし)道中に氏子連は空き腹の勇み肌を競った」。毎年、旧暦の6月14、15日に開いていたが、爆心地から約1・3キロの社殿は原爆で焼失。みこしは草津八幡宮(現西区)から借りた。

 住吉神社の森脇宗彦宮司(72)は「復興にはまず心が燃え上がらないといけない。祭りが精神的な支えとなり、地域の元気を取り戻そうとしたのでは」と話す。

 広島原爆戦災誌(71年刊)によると、被爆時は近くの中島国民学校(現中島小)の分散授業所として使われていた。境内に臨時救護所が置かれ、多くの負傷者がその後、似島(現南区)などへ運ばれた。社掌は戦死し、終戦3年後に就任した宮司が復興対策を進めて神殿と社務所を再建した。

 夏季例祭では、ご神体をのせた御座船を「漕伝馬(こぎでんま)船」がえい航する神事が明治時代から続いていた。森脇宮司によると、戦後の一時期は厳島神社(現廿日市市)の「管絃祭」で御座船を引いている江波地区(現中区)から船を借りて続けた。こぎ手不足などのため88年から途絶えていたが、2011年に本格復活した。

 現在、境内には被爆したクロマツ2本が青々と茂る。今年の「すみよしさん」は7月8、9日にある。(山下美波)

(2025年7月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ