『潮流』 首都の原爆写真・映像展
25年7月10日
■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美
焦土と化した街。皮膚も黒焦げの被災者。行方不明の肉親を捜すためであろう、がれきの中を進む人の波。原爆の悲惨を焼き付けたヒロシマの記録写真162点と映像2点は、首都でどう受け止められるか―。
東京・恵比寿の都写真美術館で8月17日まで「被爆80年企画展ヒロシマ1945」を開いている。主催は中国、朝日、毎日の新聞3社と中国放送、共同通信社。事務局として準備段階から関わっている。
被爆地を訪れたことのない市民に、ヒロシマを知る機会を提供したい。既に原爆資料館に足を運んだ人には、新たな気付きを得る場に。それが主催者一同の願いだ。被害実態の掘り起こしや被爆者取材を通じた報道の膨大な蓄積を、解説文や写真説明文に反映させた。もちろん資料館と撮影者遺族の協力あっての展覧会でもある。
上京時に展示室内を歩き、来場者の表情を観察している。顔をゆがめながら写真を凝視し、説明文を熟読する人。ベンチに座り込んだまま、天井を見つめる人。鼻をすする音も聞こえる。20~40代らしき人や外国人、カップルの多さに驚く。
亡き父が宇品(広島市南区)の陸軍船舶練習部で被爆したという横浜市の男性は、木村権一氏撮影「陸軍船舶練習部から撮影したきのこ雲」の前で「これが父が見た光景だと思うと、しばらくその場を動くことができなかった」のだとメールを寄せてくれた。
あらゆる世代、国籍、社会的な立場の人が「あの日」の記録と向き合う場を被爆国の首都に設ける意義は、決して小さくないはず。次は広島・長崎へ行こう、と思い立つきっかけになってほしい。それも、主催関係者共通の願いである。
(2025年7月10日朝刊掲載)
焦土と化した街。皮膚も黒焦げの被災者。行方不明の肉親を捜すためであろう、がれきの中を進む人の波。原爆の悲惨を焼き付けたヒロシマの記録写真162点と映像2点は、首都でどう受け止められるか―。
東京・恵比寿の都写真美術館で8月17日まで「被爆80年企画展ヒロシマ1945」を開いている。主催は中国、朝日、毎日の新聞3社と中国放送、共同通信社。事務局として準備段階から関わっている。
被爆地を訪れたことのない市民に、ヒロシマを知る機会を提供したい。既に原爆資料館に足を運んだ人には、新たな気付きを得る場に。それが主催者一同の願いだ。被害実態の掘り起こしや被爆者取材を通じた報道の膨大な蓄積を、解説文や写真説明文に反映させた。もちろん資料館と撮影者遺族の協力あっての展覧会でもある。
上京時に展示室内を歩き、来場者の表情を観察している。顔をゆがめながら写真を凝視し、説明文を熟読する人。ベンチに座り込んだまま、天井を見つめる人。鼻をすする音も聞こえる。20~40代らしき人や外国人、カップルの多さに驚く。
亡き父が宇品(広島市南区)の陸軍船舶練習部で被爆したという横浜市の男性は、木村権一氏撮影「陸軍船舶練習部から撮影したきのこ雲」の前で「これが父が見た光景だと思うと、しばらくその場を動くことができなかった」のだとメールを寄せてくれた。
あらゆる世代、国籍、社会的な立場の人が「あの日」の記録と向き合う場を被爆国の首都に設ける意義は、決して小さくないはず。次は広島・長崎へ行こう、と思い立つきっかけになってほしい。それも、主催関係者共通の願いである。
(2025年7月10日朝刊掲載)