[歩く 聞く 考える] 論説委員 田原直樹 若松丈太郎さんの詩
25年7月10日
読み直す 言葉で「核」と戦うため
詩人・若松丈太郎さんが亡くなって4年が過ぎた。福島で原発事故が起きる前から警鐘を鳴らし、事故を「核災」と呼び、国の責任や姿勢を告発した人である。批評家や教育者としても、警告や示唆に富む言葉を残している。
「若松丈太郎の詩と評論を語り継ぐ会」が4月、東京であった。集まった詩人たちは、若松さんの仕事を顧みるべき時だという。
核災を忘れたのか。今、原発が続々と再稼働され、世界では核兵器による威嚇が横行している。どう向き合い、考えればいいのか。若松さんの言葉を読み直そう。
詩「神隠しされた街」が広く知られたのは、福島第1原発事故の後。その17年前に発表しており、事故の「予言詩だ」と騒がれた。
チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故で全住民が避難したウクライナの旧プリピャチ市を訪れて作った詩。原発から5キロ圏内にあるプリピャチをはじめ、半径30キロ内の住人は退避させられた。福島で原発の30キロ圏といえば自らが住む街(現福島県南相馬市)も入った。無人の街の不気味さや放射性物質の半減期などをつづり、姿を消した住民を「神隠し」と表現。そして「私たちの神隠しはきょうかもしれない」と。
危惧した事故はその後、地元で現実となる。
事故から2年後、若松さん宅で取材を終えた筆者は、立ち入り禁止区域のそばへと連れて行ってもらった。時が止まったような無人の町を見つめる、若松さんの悲痛な表情が忘れられない。
「事故ではなく、人間が核を誤用して起こした核災です」「人類の手に負えない核物質を、私たちは扱うべきでない」。福島の人々が失ったものを見つめ、悲嘆や憤りを詩や評論で発表した。
東京電力や政府には不信感を深めた。「私が詩や評論を書くのは言葉で戦うためです」
岩手県出身の若松さんは福島大を出て高校教諭の傍ら、詩人に。評論なども手がけた。福島県文学賞に輝いた初詩集「夜の森」など著作は数多い。
「語り継ぐ会」では詩人たちが多彩な視点から人物像を語った。
若松さんという詩人においては詩と抵抗が結びついていた―。長崎大のギュルベヤズ・アブドゥルラッハマン准教授はそうみる。歴史的には支配者や権力の側に立った詩人も少なくない中、若松さんは一貫して戦争・暴力に抵抗し、虐げられた者の声を書いた、と評価した。私たちにも態度を問うてくると。
原発のみならず、東北の歴史やその地が育んだ文学者らについても深く考察した若松さん。中央と地方、東北差別への視点のほか、国語教師としての姿を語る発表者もいた。
兵庫県の広川恵一さんは「詩が時代を告発する役割を担うものだとするならば、詩人は言葉をもってこの核状況を撃つべき」という言葉を心に留めている。
これこそが今、表現者に求められる姿勢ではないか。
というのも、原発事故を巡り東電旧経営陣に賠償を求めた株主代表訴訟で東京高裁が先月、一審判決を取り消し、請求を棄却したからだ。
その一方で、東電は再び原発を稼働させようとしている。原子力規制委員会の審査に合格した新潟県の柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働手続きを着々と。原子炉には既に核燃料を装塡(そうてん)し終えた。
福島の事故に、誰も責任を負わないのか。このまま原発が次々と再稼働されて、いいのか。
生前の若松さんも、事故の責任が問われないことを戦争責任の問題と重ね合わせ、追及していた。「これでは同じことが繰り返されてしまう」と。
詩人の使命として原発や戦争、核兵器などの告発に取り組んだ。その言葉は私たちが過去を顧みて未来を展望する時に響いてくる。
7月5日に日本で大災害が起きるという「予言」が、先日まで世の中を騒がせた。訪日客が恐れ、来日を控えたほどだ。世界中で大きな災害が発生し、戦争が相次いでいる。人々が募らせている不安が、そのような形で表れたのかもしれない。
福島の事故後に「予言詩」と呼ばれた「神隠しされた街」だが、若松さんの詩や仕事は決して「予言」ではない。「夢で見た」といった類いの、あやふやなものとは全く異なる。
事実やデータも織り込み、人類が抱えている危険を言葉にした。直面しているのに目を背けている事実を、詩などを通して私たちに気付かせ、考えさせるものだ。
まなざしは原発や戦争、核兵器のほか、虐げられて傷ついた人々にも向けられた。若松さんの詩にどうか触れてもらいたい。
「語り継ぐ会」で論じられた内容、朗読された若松さんの詩は、詩誌コールサック122号の特集に収録されている。
(2025年7月10日朝刊掲載)