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連載・特集

被爆80年託す想い 3564人の声から <5> 国の償いは

子残し絶たれた母の命

 「非常にかなしく、つらい、くるしい思いをずっとして来た」。広島市東区の能見孝子さん(91)は、被爆者アンケートに「死没者も含めた国家補償」を求める考えを書いた。戦後の苦難を強いられた自分に償ってほしい、というだけではない。念頭にあるのはむしろ、市街地の建物疎開に動員されたまま戻らなかった母、石本チヨノさん(当時34歳)のことだ。

封筒に髪と白骨

 1945年8月6日の朝、皆実町(現南区)の自宅で、当時11歳だった能見さんは出かける母の弁当箱に麦飯を詰めた。「そんなにたくさん食べられるかしら」とほほ笑んでくれた母。それが最後となった。

 しばらくして、自宅は閃光(せんこう)に包まれた。弟2人を連れ、父と一緒に迫り来る炎から逃げた。人づてに母の消息を知り、似島(現南区)に渡った父が封筒を持ち帰ったのは数日後。わずかな頭髪と白骨が入っていた。

 「つらかった。でも悲しむ間もありませんでした」。自宅と、隣で営んでいた鉄工所は全焼した。上の弟は4歳、下は1歳9カ月。能見さんは1年半ほど学校に行かず、母親代わりをせざるを得なかった。

 中学卒業後に就職。結婚し、息子1人を育て上げた。幼子を残して逝った母の無念が、痛いほど分かる。「何が起きたか分からないまま命を奪われた。そんな死者に対して何もないなんて、やるせないです」

「受忍論」を盾に

 「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていない」。昨年のノーベル平和賞授賞式で演説した日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(93)は、そう強調した。

 被団協は戦争を始めた国の責任として、原爆犠牲者への弔慰金や遺族年金制度の制定を求めてきた。国が償ってこそ「同じ被害を繰り返さない誓いになる」との考えからだ。しかし政府は、戦争被害は国民が等しく我慢すべきだとする「受忍論」を盾に拒んできた。

 アンケートでは、被団協の訴えに重なる声が目立った。東広島市の男性(83)は「原爆のような爆弾を使った場合、国家補償をしなければならないという先例をつくることが大切」と訴える。

 一方で「戦争による被害は被爆者だけではない。今のままで良い」(81歳女性、安芸高田市)との意見も。「すでに80年もたっていて難しいと思う」(80歳女性、東京都)と諦めがにじむ記述もあった。市民を巻き込み、戦争に突き進んだ国家がどう責任を取るのか。過ちを繰り返さないと保証できるのか。被爆者は問い続けている。(馬上稔子)

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「死没者含めて」3割求める

 政府は「社会保障」として被爆者援護を進めてきた。それでいいのか。それとも、戦争を始めた国の責任として国家補償を求めるのか―。中国新聞、長崎新聞、朝日新聞の3社合同の全国被爆者アンケートでは、そんな問いを投げかけた。

 最多は「死没者も含めて国家補償を実施すべきだ」で29・2%。「社会保障で十分」は11・5%で、倍以上の差がついた。国家補償を求めながら「対象は生存被爆者だけでよい」とした人は22・3%。国家補償を求める声が過半数だ。

 また、原爆投下をどう考えるかとの問いでは、49・9%が「投下すべきでなかった」として米国に謝罪を求めた。「日本も真珠湾を先に攻撃したのでやむをえなかった」は18・0%だった。

 クロス集計すると、米国に謝罪を求める人の方が、国家補償を求める割合も高かった。「死没者も含めて」と「生存被爆者だけ」を合わせると、計63・5%。投下をやむをえなかったとした人は計48・2%で約15ポイントの差がついた。

(2025年7月11日朝刊掲載)

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