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[被爆80年] ドーム保存契機 被爆少女の日記 楮山さんの言葉を書に 府中の林さん 町の巡回展で公開

 1960年に急性白血病のため16歳で亡くなった被爆者楮山(かじやま)ヒロ子さんが残し、原爆ドーム(広島市中区)保存運動につながった日記の一節を、府中町山田の書家林幽桂さん(83)が書道作品にした。町内で暮らした楮山さんのメッセージを被爆80年を機にかみしめようと、8月15日まで町が開く原爆資料巡回展で公開している。(石川昌義)

 「あのいたいたしい産業奨励館だけが いつまでも おそる(べき) げん爆を世にうったえてくれるだろうか」

 町の依頼で6月末に筆を執った林さんは「世界で戦争が広がる今、原爆の恐ろしさと、ドームが残っている意味を痛感した」と振り返る。楮山さんをむしばんだ放射線を放った「げん爆」の文字を、日記の記述に沿って強調し書き上げた。

 「無口で優しいヒロ子 コスモスの様(よう)なヒロ子 いつまでも心に生きているヒロ子…」。楮山さんの母親の言葉も書にした。

 林さんは85年、町が役場西隣の公園に建てた原爆慰霊碑の碑文を揮毫(きごう)した。独特の書体で「核に灼(や)かれし 御霊(みたま)安かれ 永遠(とわ)に ともに築かん 世界の平和」と刻む。

 碑がある府中大川と榎川の合流点付近は、原爆投下直後に被爆者の遺体を火葬した場所と伝えられる。林さんは「府中町と原爆の関わりを知ってほしい」と願う。

 原爆資料展は、マイ・フローラ南交流センター(鹿籠)で21日まで、町役場で23日~8月15日(土日祝を除く)に開く。8月2日に府中公民館(本町)で町が開く被爆80年行事の会場でも催す。町内在住の元中国新聞記者山田精三さん(96)が町内の水分峡(みくまりきょう)で撮影した原爆投下直後のきのこ雲の写真などの資料約30点とともに展示する。

楮山ヒロ子さん

 1歳の時に爆心地から約1・3キロの平塚町(現広島市中区)の自宅で被爆した。府中小、府中中を卒業後、祇園高(当時)に進学。1960年4月、急性白血病で亡くなった。その直後、残された日記の記述に触発された小中高生たちでつくる「広島折鶴(おりづる)の会」が、原爆ドームの保存を求める署名と募金活動を開始。世論のうねりにつながった。

(2025年7月11日朝刊掲載)

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