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社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 森山史(もりやまふみ)さん

 「被爆80年という言葉を耳にするたびに、身が引き締まる思いがしている」。8月6日に広島市が平和記念公園(中区)で営む平和記念式典で「平和の鐘」を突く。「平和な世界の実現に役立てるよう、意志を持って、自分にできることを」と意気込む。

 80年前、祖父の林三智男さん(2011年に78歳で死去)が救護被爆した。旧白木高(安佐北区)の前身となる高田中学院の1年生だった。市中心部から運ばれてきた遺体を、近くの山や学校のグラウンドに運ぶ作業に従事した。

 遠泳や魚をさばくのが得意で快活な祖父が、被爆者なのは知っていた。ただ、その体験を直接聞いたことはなかった。「祖父がどう思っていたのか分からないけど、口に出せなかったのでは」。祖母(87)を通じて記憶を受け継いだのは、遺族代表を引き受けると決まった後だ。

 「まだ中学1年で耐えられないような経験をしていたと知り、ショックで言葉もなかった。戦争は決して遠い世界の話ではなかった」。原爆の日に向け、祖父の体験を記したメモや同じ地域で被爆した人の手記を読み、平和に日々を暮らす自らが果たすべき役割を考えている。

 勤め先は、祖父も生前に訪れていた保養施設「神田山荘」(東区)。事務職で、被爆者と直接関わる機会は少ないが、「ずっと元気で、また来てほしい」と見守る。

 歌を歌ったり、旅行したりするのが好き。休日には泊まりがけでツーリングへ繰り出すこともある。安佐南区在住。(下高充生)

(2025年7月12日朝刊掲載)

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