被爆80年託す想い 3564人の声から <6> 核兵器をなくす
25年7月12日
「諦めない」 ハトに込め
「左右をそろえるのが難しいの」。広島市中区の原爆養護ホーム「舟入むつみ園」で暮らす空民子さん(83)は、被爆体験を聞きに園を訪れる子どもたちに配るため、ハトを折りためている。尾の部分を引くと、羽が動く。平和への思いを乗せて羽ばたいてくれるよう、祈りを込める。
襲われる無力感
だけど時折、無力感に襲われる。「被爆者たちがこれほど訴えているのに…」。全国被爆者アンケートでは、核兵器廃絶が可能と「思わない」と答えた。理由を「為政者たちは戦争への道を歩んでいる」と記述。ロシアによるウクライナ侵攻や、中東情勢を憂慮する思いもつづった。
1945年8月6日。3歳だった空さんは、爆心地から約1・4キロの稲荷町(現南区)で両親、姉、妹と共に被爆した。幸い全員無事だったが、大好きだった祖母、叔父、叔母の3人を失った。
「ひろこちゃん」も記憶に刻む。火の手を逃れる途中、たった一人でいた5歳くらいの女の子。両親は一度は連れて逃げたが、山手の派出所に預けて別れた。戦後、引き取ることも考えたらしい。施設などを捜しても行方が分からず、悔いを口にしていたという。「私も幸せであるほど、申し訳なさを感じてしまう。今、どうしているんでしょうね」
原点に立ち返る都度、かみしめる。核兵器廃絶を諦めたくはない、と。保有国は核をかざしてにらみ合いを続ける。日本政府は核兵器禁止条約に加わらないままだ。切実な訴えをつづった。「次世代に負の遺産を残しませんように」
道のり困難でも
廃絶を願いながらも、諦めを感じている被爆者は少なくない。東京都の男性(83)は「廃絶すべきだが、大国が核保有している限り困難」。廃絶できると「思う」と答えた福岡県の女性(81)も「可能だと思わなければ苦しい」と葛藤をにじませた。
3564人の回答に通じるのは「二度と繰り返してはいけない」との強い思いだ。広島市西区の女性(92)は、めいの代筆で「どんなに難しくても、遠い道のりであっても、核兵器廃絶は訴えていかなければならない」と強調した。私たちはこの声を受け止めたい。諦めるわけにはいかない。(馬上稔子)
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核禁条約「参加を」 8割超
核兵器廃絶は可能だと思いますか―。中国新聞、長崎新聞、朝日新聞3社合同の全国被爆者アンケートで「思わない」と答えた人は36・9%と、「思う」の27・9%を9ポイント上回った。核軍縮の後退や危機的な国際情勢を理由に挙げた人が多い。
一方、日本の核兵器禁止条約への参加についての考えを問うと、「参加すべきだ」が8割を超えた。内訳は「即座に」が56・1%、「将来的に」が28・1%。「参加する必要は無い」はわずか0・9%だった。米国の核で守ってもらい、他国の攻撃を抑止する「核の傘」についても、「正しいと思わない」が5割を超えた。
クロス集計すると、核の傘の考えを「正しいと思う」とした人でも、計85・4%が「禁止条約に参加すべきだ」を選んだ。「正しいと思わない」では計93・9%に上った。
日本政府が核兵器廃絶に積極的とみる人は、6・2%しかいない。禁止条約への署名や批准に背を向け続ける政府に、多くの被爆者が批判の目を向けている。 =おわり
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(2025年7月12日朝刊掲載)