ろう者が生きた 音のない戦禍 手話劇「手紙」 広島の市民ら上演へ 乏しい証言 継承の取り組み
25年7月15日
音のない世界で戦禍を生き、あの日の閃光(せんこう)を浴びたろう者。コミュニケーションの壁もあり、その体験を証言する機会は限られてきた。広島の市民たちが被爆80年の節目に、ろう者の戦争・被爆体験を伝える手話劇を創作して上演する。(小林可奈)
戦時下の広島に生き、原爆に遭ったろう家族の物語。耳が不自由な両親と、両親の耳代わりになっていた5歳の娘の一家を軸に、日本人と結婚した米国出身の女性との交流も描く。
空襲警報が聞こえず、手話が暗号と誤解されてスパイ視され、物心両面の支えだった家族を奪われ…。ろう者の実体験を踏まえ、劇を統括する仲川文江さん(85)=広島市南区=が原案を書いた。仲川さんも、両親がろう者で父は被爆者。灯火管制に気付かず軍人に自宅の電球を取られて幼い娘が親の通訳として返却を懇願しに行く場面は、自らの体験を基にした。
公演には、ろう者約30人を含む約100人が出演や運営で携わる。舞台上では一つの役を原則2人で演じる。1人が手話で語り、舞台のそばにいる別の1人が声のせりふを重ねる。見る側も聴覚障害に関係なく楽しめるよう工夫した。
広島市ろうあ協会(東区)によると、広島で被爆したろう者は少なくとも190人いるという。しかし、当時の教育環境などから読み書きが苦手な人も目立ち、体験を伝える機会は多くはなかった。
仲川さんは40年余り前、手話による聞き取り活動を始めた。目や鼻で記憶を刻んだ計約30人の証言を集め、「生きて愛して」(1989年刊)「沈黙のヒロシマ」(2007年刊)にまとめた。その証言者の多くが亡くなる中、手話劇は継承の新たな取り組みでもある。
娘役で出演する被爆4世で広島南特別支援学校(中区)小学部5年の那須乃桜(のあ)さん(10)=安芸区=は「手話劇を通じ、自分と同じ耳が不自由な被爆者がいると知った。多くの人に伝えたい」と張り切る。
仲川さんは「手話は語彙(ごい)が限られ、凄絶(せいぜつ)な体験を表すのはとても難しい。手話劇の基になっているのは、手や目の動き、表情などろう者が全身で表した記憶。当事者の苦しみ、生きた証しが未来にも残り続ける劇にしたい」と話す。
手話劇「手紙」は20日、中区のJMSアステールプラザで2回公演(全席完売)。
(2025年7月15日朝刊掲載)
戦時下の広島に生き、原爆に遭ったろう家族の物語。耳が不自由な両親と、両親の耳代わりになっていた5歳の娘の一家を軸に、日本人と結婚した米国出身の女性との交流も描く。
空襲警報が聞こえず、手話が暗号と誤解されてスパイ視され、物心両面の支えだった家族を奪われ…。ろう者の実体験を踏まえ、劇を統括する仲川文江さん(85)=広島市南区=が原案を書いた。仲川さんも、両親がろう者で父は被爆者。灯火管制に気付かず軍人に自宅の電球を取られて幼い娘が親の通訳として返却を懇願しに行く場面は、自らの体験を基にした。
公演には、ろう者約30人を含む約100人が出演や運営で携わる。舞台上では一つの役を原則2人で演じる。1人が手話で語り、舞台のそばにいる別の1人が声のせりふを重ねる。見る側も聴覚障害に関係なく楽しめるよう工夫した。
広島市ろうあ協会(東区)によると、広島で被爆したろう者は少なくとも190人いるという。しかし、当時の教育環境などから読み書きが苦手な人も目立ち、体験を伝える機会は多くはなかった。
仲川さんは40年余り前、手話による聞き取り活動を始めた。目や鼻で記憶を刻んだ計約30人の証言を集め、「生きて愛して」(1989年刊)「沈黙のヒロシマ」(2007年刊)にまとめた。その証言者の多くが亡くなる中、手話劇は継承の新たな取り組みでもある。
娘役で出演する被爆4世で広島南特別支援学校(中区)小学部5年の那須乃桜(のあ)さん(10)=安芸区=は「手話劇を通じ、自分と同じ耳が不自由な被爆者がいると知った。多くの人に伝えたい」と張り切る。
仲川さんは「手話は語彙(ごい)が限られ、凄絶(せいぜつ)な体験を表すのはとても難しい。手話劇の基になっているのは、手や目の動き、表情などろう者が全身で表した記憶。当事者の苦しみ、生きた証しが未来にも残り続ける劇にしたい」と話す。
手話劇「手紙」は20日、中区のJMSアステールプラザで2回公演(全席完売)。
(2025年7月15日朝刊掲載)