[被爆80年] 被爆遺構石畳 「絵碑」に活用 広島 相生橋西詰め
25年7月15日
エディオンピースウイング広島(広島市中区)の建設地から出土した被爆遺構の石畳が、南約600メートルの相生橋西詰めの河岸緑地に設置される「原爆の絵碑」に使われる。市民グループが発案し、被爆80年の企画として市と共同で実現した。22日に除幕式がある。
石畳5枚を高さ60センチの台座に並べ、絵と説明の陶板をはめる。絵は4点で、炎に包まれる広島県産業奨励館(原爆ドーム)▽本川へ飛び込む児童▽西練兵場土手の黒焦げの少年▽戦後の灯籠流し―を選んだ。
絵碑の設置は「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」が取り組み、11カ所目になる。石畳は被爆した旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊」施設から出土し、市の発掘調査後に提供を受けた。
同会は2002年に脚本家の早坂暁さん(17年に88歳で死去)たちが結成。碑巡りグループから新たな碑の設置を求める声が上がり、昨年から新たな碑の候補地探しを本格化していた。
今回の碑は爆心地から約320メートルと最も距離が近く、県産業奨励館を描いた絵は早坂さんが生前、特に見てもらいたいと強調していたという。同会会長の岡村信秀・県生協連会長は「修学旅行生や観光客が多い場所。核兵器の悲惨さを絵碑から受け止めてほしい」と話している。(山本祐司)
(2025年7月15日朝刊掲載)
石畳5枚を高さ60センチの台座に並べ、絵と説明の陶板をはめる。絵は4点で、炎に包まれる広島県産業奨励館(原爆ドーム)▽本川へ飛び込む児童▽西練兵場土手の黒焦げの少年▽戦後の灯籠流し―を選んだ。
絵碑の設置は「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」が取り組み、11カ所目になる。石畳は被爆した旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊」施設から出土し、市の発掘調査後に提供を受けた。
同会は2002年に脚本家の早坂暁さん(17年に88歳で死去)たちが結成。碑巡りグループから新たな碑の設置を求める声が上がり、昨年から新たな碑の候補地探しを本格化していた。
今回の碑は爆心地から約320メートルと最も距離が近く、県産業奨励館を描いた絵は早坂さんが生前、特に見てもらいたいと強調していたという。同会会長の岡村信秀・県生協連会長は「修学旅行生や観光客が多い場所。核兵器の悲惨さを絵碑から受け止めてほしい」と話している。(山本祐司)
(2025年7月15日朝刊掲載)