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[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 裏付ける事実 見当たらず

Q 原爆投下の予告はあった?

 平和記念公園(広島市中区)を案内する通訳ガイドのまとめ役の八幡毅さん(65)は、米国などの観光客から「原爆投下の予告があったのに、なぜ市民は逃げなかったのか」と聞かれることがあるといいます。記者も学生時代、予告のビラがまかれたという証言を聞いたことがあります。

 原爆資料館(同)によると、投下の予告ビラはこれまで確認されていないそうです。ビラで存在するのは、投下後の8月9、10の両日に米軍が上空からまいたものです。広島への投下の事実や、日本が降伏しなければ再び原爆を使うことなどが書かれています。米軍の報告書などでは、東京や大阪など8都市にばらまき、長崎では投下当日の9日の夜以降だったとされています。

 当時の米国政府の動きをみても、予告をしたとは考えにくいです。原爆に関してトルーマン大統領に提言する最高諮問機関の暫定委員会は、警告なしでの投下を勧告する内容を投下の約2カ月前に決めています。

 それなのに、なぜ予告があったという言説が広がったのでしょう。米国内の原爆報道に詳しい広島市立大の井上泰浩教授(メディア論)は、トルーマン大統領が「適切な警告を与えた」と発言したことなどが要因と指摘します。広島への投下翌日の8月7日の米紙ニューヨーク・タイムズも同様に報じています。

 この警告はポツダム宣言を指しています。宣言に書かれているのは、降伏しない場合は「完全なる壊滅あるのみ」という内容で、具体的な手段は説明していません。また米政府と米軍が監修した映画には「投下の10日前からビラをまいた」というせりふもあります。井上教授は「無警告だった日本軍の真珠湾攻撃との違いを強調し、投下を正当化させたかったのでは」と話します。

 原爆投下を予告した事実は今のところ見当たらず、市民は投下を事前に知るすべはなかったとみられます。これらの状況こそが、都市の真上に落とされた原爆の非人道性を浮き立たせています。(桧山菜摘)

(2025年7月21日朝刊掲載)

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