『潮流』 責任について
25年7月19日
■論説委員 森田裕美
「責任」という言葉には「重い」「重大な」といった形容が似合う。「軽い責任」などという言い回しはあまり聞かない。責任とは、元来重いものだからだろう。
責任を取るのは過ちを繰り返さないためで反省を伴うはず。だから、もやもやする。為政者の責任への向き合い方に。
先日も被災地への失言が問題となった鶴保庸介参院議員が記者会見で責任について問われ「責任を取ることで何か皆さんの気持ちが収まるのであれば―」と答えていた。自分は悪くないがそれで皆さんの気が済むなら、と言わんばかりである。その後、予算委員長を引責辞任したものの、反省はしているだろうか。
参院選公示前の党首討論会でも「責任」が飛び交った。石破茂首相は、核兵器なき世界を目指しつつ米国の核による「拡大抑止」の信頼性を確保するとし「それが責任ある政治」と述べていた。明らかな矛盾なのに。
責任がないがしろにされる世の行く末を案じていた時、三原市の画家で被爆者の岡田黎子さん(95)から自身の歩みと責任について著した冊子が届いた。世界で殺し合いが続き、核抑止論が幅を利かせる状況に、黙ってはいられないという。
女学生の時、大久野島(竹原市)で毒ガスや風船爆弾の製造に駆り出された岡田さんは戦後、自らの責任も問い続けてきた。「人は被害者にも加害者にもなり得ると自覚することが過ちを止める力になる」と信じるからだ。
反戦反核への思いの丈をつづった冊子は、こう結んでいる。〈大きな流れに身を任せることなく、戦争も平和も自らの責任として、自らの行動に責任を持とう!〉。参院選の投票日を前に、ひときわ胸に迫る。
(2025年7月19日朝刊掲載)
「責任」という言葉には「重い」「重大な」といった形容が似合う。「軽い責任」などという言い回しはあまり聞かない。責任とは、元来重いものだからだろう。
責任を取るのは過ちを繰り返さないためで反省を伴うはず。だから、もやもやする。為政者の責任への向き合い方に。
先日も被災地への失言が問題となった鶴保庸介参院議員が記者会見で責任について問われ「責任を取ることで何か皆さんの気持ちが収まるのであれば―」と答えていた。自分は悪くないがそれで皆さんの気が済むなら、と言わんばかりである。その後、予算委員長を引責辞任したものの、反省はしているだろうか。
参院選公示前の党首討論会でも「責任」が飛び交った。石破茂首相は、核兵器なき世界を目指しつつ米国の核による「拡大抑止」の信頼性を確保するとし「それが責任ある政治」と述べていた。明らかな矛盾なのに。
責任がないがしろにされる世の行く末を案じていた時、三原市の画家で被爆者の岡田黎子さん(95)から自身の歩みと責任について著した冊子が届いた。世界で殺し合いが続き、核抑止論が幅を利かせる状況に、黙ってはいられないという。
女学生の時、大久野島(竹原市)で毒ガスや風船爆弾の製造に駆り出された岡田さんは戦後、自らの責任も問い続けてきた。「人は被害者にも加害者にもなり得ると自覚することが過ちを止める力になる」と信じるからだ。
反戦反核への思いの丈をつづった冊子は、こう結んでいる。〈大きな流れに身を任せることなく、戦争も平和も自らの責任として、自らの行動に責任を持とう!〉。参院選の投票日を前に、ひときわ胸に迫る。
(2025年7月19日朝刊掲載)