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[被爆80年] 「後輩」に託す平和の願い 広島の光成さん 観音高で初の講話

 広島市西区の観音高で18日、前身の旧制広島二中に在籍していた光成洋さん(93)=安佐南区=が生徒たちに初めて講話した。原爆投下の1週間前に転校。当時1年生で、多くの同級生が被爆死する中、生き残った「罪悪感」を背負ってきた。世界で続く戦禍を憂えて後輩たちの前に立つ決意をし、「戦争は悲惨。何ら得るものはない」と平和の尊さを訴えた。

 光成さんは二中1年だった1945年7月末に府中市に引っ越し、旧制府中中(現府中高)に移った。8月6日、建物疎開に動員され今の平和記念公園(中区)西側の河岸に集合した二中1年生は全滅。後ろめたさを感じ戦争体験を「隠して生きてきた」。高校教諭となり、観音高にも9年勤めたが、二中の「生き残り」と周囲に明かしたのは退職後だった。

 対面とオンラインによる講話では、全校生徒約800人に「恐ろしいことが世界で起きている」と語りかけた。同級生を奪われた悲しみ、苦しみを明かし、「一人一人が平和を守ってほしい」と声を振り絞った。

 平和学習の講師は、被爆死した父が国民学校時代に教頭を務めていた竹屋小で2019年にして以来2度目。45年入学の二中24期生の行方を知るうち、惨禍を後世に継ぐ責任感を強めていた。ロシアによるウクライナ侵攻や中東での戦闘で子どもが犠牲になる姿にも心を痛める中、観音高の久保薫校長から講話を熱心に依頼され引き受けた。

 終了後、光成さんは「第3次世界大戦を本気で心配している。生徒に思いが届いていればうれしい」と願った。1年の金子心春(みはる)さん(15)=西区=は「罪のない光成さんにずっと罪悪感を背負わせた戦争のむごさを感じた」と話した。(樋口浩二)

(2025年7月19日朝刊掲載)

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