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[ヒロシマドキュメント 1946年] 7月 相次ぐ米核実験伝わる

 1946年7月。米国による中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験を巡り、報道が続いていた。

 米国は1日に戦後初の核実験を実施。2日付中国新聞に、同行したUP通信記者の記事が載った。「閃光(せんこう)と巨大な桃色の煙とは現場から十八マイルもへだたったわれわれさへ眩惑(げんわく)させるほどだった」

 これに反応し、広島市の木原七郎市長が談話を発表した。米軍主導の占領下で非難の文言はなく、「平和をもたらした原子爆弾が破壊のために使用されることなく、永遠の平和を確立し原子力が人類の幸福のために利用されることを念願する」。実験を契機に、惨禍からの復興途上にある市への関心が高まることにも期待していた。

 さらに7日付本紙は、米国が25日に再び核実験を実施すると伝え、「第一回の空中爆発とは比較にならんほどの驚異的効果が現はれるものと期待されてゐる」と報じた。10日付で「さながら地獄絵」と1日の核実験を詳報。艦艇約70隻のうち24隻が破壊され、ブタやヤギ、モルモット計3300匹のうち320匹が死に、生き残った動物も放射線被害で死んだり弱ったりしているとした。

 核実験に関する報道が相次ぐ中、広島市内では被爆から1年を前に追悼行事が開かれていた。現在の平和記念公園(中区)に5月に建った市戦災死没者供養塔前では、原爆で親を奪われた広島戦災児育成所の子ども約20人が犠牲者を悼んだ。

 米国は事前の発表通り7月25日、ビキニ環礁で核実験を実施。マーシャル諸島で58年までに計67回の核実験を繰り返し、大量の「死の灰」(放射性降下物)をまき散らすことになる。(山下美波)

(2025年7月23日朝刊掲載)

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