ノーベル賞委員会 フリードネス委員長のビデオメッセージ全文
25年7月24日
ご来賓の皆さま、被爆者の方々、学生たち、そして広島につどった友人の皆さま。
「私たちの目の前には、もし私たちがその道を選び取るならば、幸福と知識、そして叡智のたゆまぬ進歩が広がっています。しかし私たちは、その代わりに、いさかいを忘れることができないからといって、死を選ぼうというのでしょうか。私たちは人類として、人類に対して訴えます。あなた方の人間性だけを思い起こし、そのほかは忘れよ、と」
1955年にバートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインが発したこれらの言葉は、時を超えて、今も恐ろしいまでに明白に響きます。当時、それは良心への呼びかけでした。そしてこれは今なお、責任を果たすよう求める声なのです。
昨年10月、ノルウェー・ノーベル賞委員会は、2024年のノーベル平和賞を、広島と長崎の原子爆弾を生き延びた人々の連合組織である日本被団協に贈りました。核兵器のない世界を実現するための彼らのたゆまぬ努力と、核戦争がもたらす、筆舌に尽くしがたい人道的影響について、何十年もの間、証言を重ね続けてきた彼らの特筆すべき、揺らがぬ献身に対しての授賞でした。彼らの声は——あなた方の声は、時に進むべき方向を見失う世界にあって、道徳的なコンパスとなっています。我々はあなた方を通じて、核兵器というものが実際には何であるのか、それは単なる抽象的な抑止の道具ではなく、大量殺害の道具なのだということを思い起こすのです。あなた方を通じて、我々は歴史というものは単なる統計上の数字やスローガンの積み重ねではなく、命を持った個人の血肉と記憶から成り立っているのだということを思い出すのです。史上初めて核攻撃の被害を受けた、他に例のない都市である広島と長崎は、この世の道徳的想像力という意味で特別な地位を占めています。皆さんは単なる戦争の犠牲者ではなく、証人であり、教師なのです。あなた方は灰燼の中から証言を生み出し、その証言が地球社会全体の認識となっていったのです。あなた方のおかげで、世界は『二度と繰り返してはならない』という語彙を持つことができました。
徐々に時間をかけながら、核兵器の使用は道徳的に許容されないという形で、「悪の烙印」を押す、国際的な規範が形成されてきました。しばしば、「核のタブー」と呼ばれる規範です。ほかの国際的規範と同様に、「核のタブー」は社会的な合意を通じて維持され、核兵器が使用される可能性に対する道徳的な憤慨、そして、この規範が破られてしまった場合に人類を待ち受ける地獄についての恐怖の念が共有されることによって維持されているのです。しかし、このタブーはもろいものでもあり、時間の経過と共に、そうした特性はある程度、強まりました。ですから私たちには、注意喚起が必要なのです。今日ほど、それに耳を傾けなければならない時はありません。多くの専門家たちが言うように、我々は新しく、不安定な核時代の崖っぷちに立たされています。核保有国はその軍備を更新し、核兵器を手に入れようとしていると思われる新たな諸国が登場しています。軍縮条約の数々が失効する一方で、戦争が激化する状況下なのに、核兵器を使用するという威嚇が公然と行われています。この状況に直面した私たちは、今いちど、広島へと戻らなければなりません。単に地理的にではなく、道徳的な意味においてです。ノーベル平和賞を日本被団協に授与した意味も、まさにそこにあるのです。
地政学的な騒音が増す時代にあって、人間の声を上げる。軍縮の原点として、記憶を保ち続ける——。ノーベル賞委員会が昨年12月に指摘したように、私たちは過去の過ちを繰り返すように遺伝子のプログラムで定められているわけではない、ということを思い起こさなければなりません。私たちは学ぶことができるのです。ただし、学ぶためには記憶が必要であり、記憶を保つには努力が必要です。だからこそ、原爆の被害を記録する資料を、写真を、証言を、遺品を、そして語りを収集し、保存するというあなた方の営みが、まさにグローバルな重要性を帯びています。それは単に日本にとどまる歴史ではありません。世界の歴史なのであり、時間の経過や、官僚主義、あるいは無関心の中に埋もれさせてはなりません。現在の学生などの若い世代の人々は、1945年を実体験はできません。でも、日記を読むことはできます。被爆者が発する、震えながらも固い決意をもった声に耳を傾けることもできます。忘れないという道を選ぶことは、可能なのです。
ご存じのように、被爆者の方々は高齢化しています。時間はかけがえのないものです。だからこそ、資料を保全していく作業はいっそう尊い任務だといえます。これは私から明確に申し上げたい。皆さまが広島で、博物館、アーカイブ、そして書籍や教育の場を通じて、記憶を継承しようとする試みは、いわば平和の営みなのです。それは軍縮の一環であり、私たちが自らの子供たちに住まわせたいと願う世界を形づくっていく作業の一環なのです。
昨年12月にオスロでの授賞式で私が申し上げたように、記憶を保全する活動は、抵抗する行為や、変化をもたらす原動力ともなりえます。私は今、40歳です。ノルウェー国内でも、戦争を直接経験したことがない世代に属します。冷戦が終結した後に、楽観主義というバブルに包まれて育ちました。そのバブルは今や、はじけ飛んでしまいました。私は自分のこれまでの活動を通じて、トラウマが個人に及ぼす影響、そして、社会もまた、悲嘆を抱え続けるということを理解しました。過去に対峙しない限り、過去の方が私たちに迫ってくるのだということを学びました。
自分の都合とか、政治的な得点を挙げたいといった理由から、忘れたがる者たちもいます。しかし、そうさせてはならないのです。昨年のノーベル文学賞を受けた韓国の作家、ハン・ガンさんがかつて記したように、「痛みを伴いつつ、静かに悲しみを受け入れること、一生をかけてそうすることを通じてこそ、矛盾した形だが、人生は可能になるのかもしれない」——。皆さんが広島で成し遂げてきたことは、まさにそれです。あなた方は人生を可能にしてきました。単に生き延びるというのではなく、意味と尊厳、希望のある人生を、可能にしてきたのです。会場の被爆者の方々へ。皆さんと、皆さんの努力を引き継ぐすべての人々は、ほかの人々が否定の道を選び取る中で、堂々と立ち向かってきました。あなた方は、被害者としてだけ定義されることを拒んだのです。核兵器の本質はいったい何なのか、世界に対して明確に示してきました。皆さんは世界に必要な灯(ともしび)なのです。広島の皆さん、あなた方の語りは普遍的なものです。あなた方の郷土の記憶は、地球規模の責務になっています。私からは、あなたたちの声はオスロにまで届いた、と保証できます。そして、私たちが耳を傾ける勇気を保ち続ける限り、これからも皆さんの声は永く聞かれ続けるでしょう。
会場に集った若い皆さん、あなた方はこうした記憶の将来の守り手です。今後は、あなた方がこの地の記憶を保護していく担い手なのです。たいまつを受け継いでください。沈黙を広がらせてはなりません。物語を伝え、歴史を学んでください。忘却にあらがい、声を上げてください。オスロの授賞式で私が申し上げたように、私たちが生き延びられるかどうかは、そこにかかっているのです。冒頭に申し上げた、ラッセルとアインシュタインの言葉に立ち戻って、締めくくりにさせてください。「あなた方の人間性だけを思い起こし、そのほかは忘れよ」
最後にお知らせですが、ノルウェー・ノーベル賞委員会は今月27日、東京で上智大学との共催で、核軍縮に関する大きなイベントを開きます。私は、日本被団協の田中煕巳(てるみ)さん、児玉三智子さんと共に、基調講演を行います。このセミナーでは、これまでに達成できたことや、世界が現在直面する課題についての最新の分析に基づいて、核軍縮の現状把握に努めます。日本、ノルウェー、その他世界各地から専門家たちが登壇します。皆さんもぜひ、ご参加下さい。
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「私たちの目の前には、もし私たちがその道を選び取るならば、幸福と知識、そして叡智のたゆまぬ進歩が広がっています。しかし私たちは、その代わりに、いさかいを忘れることができないからといって、死を選ぼうというのでしょうか。私たちは人類として、人類に対して訴えます。あなた方の人間性だけを思い起こし、そのほかは忘れよ、と」
1955年にバートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインが発したこれらの言葉は、時を超えて、今も恐ろしいまでに明白に響きます。当時、それは良心への呼びかけでした。そしてこれは今なお、責任を果たすよう求める声なのです。
昨年10月、ノルウェー・ノーベル賞委員会は、2024年のノーベル平和賞を、広島と長崎の原子爆弾を生き延びた人々の連合組織である日本被団協に贈りました。核兵器のない世界を実現するための彼らのたゆまぬ努力と、核戦争がもたらす、筆舌に尽くしがたい人道的影響について、何十年もの間、証言を重ね続けてきた彼らの特筆すべき、揺らがぬ献身に対しての授賞でした。彼らの声は——あなた方の声は、時に進むべき方向を見失う世界にあって、道徳的なコンパスとなっています。我々はあなた方を通じて、核兵器というものが実際には何であるのか、それは単なる抽象的な抑止の道具ではなく、大量殺害の道具なのだということを思い起こすのです。あなた方を通じて、我々は歴史というものは単なる統計上の数字やスローガンの積み重ねではなく、命を持った個人の血肉と記憶から成り立っているのだということを思い出すのです。史上初めて核攻撃の被害を受けた、他に例のない都市である広島と長崎は、この世の道徳的想像力という意味で特別な地位を占めています。皆さんは単なる戦争の犠牲者ではなく、証人であり、教師なのです。あなた方は灰燼の中から証言を生み出し、その証言が地球社会全体の認識となっていったのです。あなた方のおかげで、世界は『二度と繰り返してはならない』という語彙を持つことができました。
徐々に時間をかけながら、核兵器の使用は道徳的に許容されないという形で、「悪の烙印」を押す、国際的な規範が形成されてきました。しばしば、「核のタブー」と呼ばれる規範です。ほかの国際的規範と同様に、「核のタブー」は社会的な合意を通じて維持され、核兵器が使用される可能性に対する道徳的な憤慨、そして、この規範が破られてしまった場合に人類を待ち受ける地獄についての恐怖の念が共有されることによって維持されているのです。しかし、このタブーはもろいものでもあり、時間の経過と共に、そうした特性はある程度、強まりました。ですから私たちには、注意喚起が必要なのです。今日ほど、それに耳を傾けなければならない時はありません。多くの専門家たちが言うように、我々は新しく、不安定な核時代の崖っぷちに立たされています。核保有国はその軍備を更新し、核兵器を手に入れようとしていると思われる新たな諸国が登場しています。軍縮条約の数々が失効する一方で、戦争が激化する状況下なのに、核兵器を使用するという威嚇が公然と行われています。この状況に直面した私たちは、今いちど、広島へと戻らなければなりません。単に地理的にではなく、道徳的な意味においてです。ノーベル平和賞を日本被団協に授与した意味も、まさにそこにあるのです。
地政学的な騒音が増す時代にあって、人間の声を上げる。軍縮の原点として、記憶を保ち続ける——。ノーベル賞委員会が昨年12月に指摘したように、私たちは過去の過ちを繰り返すように遺伝子のプログラムで定められているわけではない、ということを思い起こさなければなりません。私たちは学ぶことができるのです。ただし、学ぶためには記憶が必要であり、記憶を保つには努力が必要です。だからこそ、原爆の被害を記録する資料を、写真を、証言を、遺品を、そして語りを収集し、保存するというあなた方の営みが、まさにグローバルな重要性を帯びています。それは単に日本にとどまる歴史ではありません。世界の歴史なのであり、時間の経過や、官僚主義、あるいは無関心の中に埋もれさせてはなりません。現在の学生などの若い世代の人々は、1945年を実体験はできません。でも、日記を読むことはできます。被爆者が発する、震えながらも固い決意をもった声に耳を傾けることもできます。忘れないという道を選ぶことは、可能なのです。
ご存じのように、被爆者の方々は高齢化しています。時間はかけがえのないものです。だからこそ、資料を保全していく作業はいっそう尊い任務だといえます。これは私から明確に申し上げたい。皆さまが広島で、博物館、アーカイブ、そして書籍や教育の場を通じて、記憶を継承しようとする試みは、いわば平和の営みなのです。それは軍縮の一環であり、私たちが自らの子供たちに住まわせたいと願う世界を形づくっていく作業の一環なのです。
昨年12月にオスロでの授賞式で私が申し上げたように、記憶を保全する活動は、抵抗する行為や、変化をもたらす原動力ともなりえます。私は今、40歳です。ノルウェー国内でも、戦争を直接経験したことがない世代に属します。冷戦が終結した後に、楽観主義というバブルに包まれて育ちました。そのバブルは今や、はじけ飛んでしまいました。私は自分のこれまでの活動を通じて、トラウマが個人に及ぼす影響、そして、社会もまた、悲嘆を抱え続けるということを理解しました。過去に対峙しない限り、過去の方が私たちに迫ってくるのだということを学びました。
自分の都合とか、政治的な得点を挙げたいといった理由から、忘れたがる者たちもいます。しかし、そうさせてはならないのです。昨年のノーベル文学賞を受けた韓国の作家、ハン・ガンさんがかつて記したように、「痛みを伴いつつ、静かに悲しみを受け入れること、一生をかけてそうすることを通じてこそ、矛盾した形だが、人生は可能になるのかもしれない」——。皆さんが広島で成し遂げてきたことは、まさにそれです。あなた方は人生を可能にしてきました。単に生き延びるというのではなく、意味と尊厳、希望のある人生を、可能にしてきたのです。会場の被爆者の方々へ。皆さんと、皆さんの努力を引き継ぐすべての人々は、ほかの人々が否定の道を選び取る中で、堂々と立ち向かってきました。あなた方は、被害者としてだけ定義されることを拒んだのです。核兵器の本質はいったい何なのか、世界に対して明確に示してきました。皆さんは世界に必要な灯(ともしび)なのです。広島の皆さん、あなた方の語りは普遍的なものです。あなた方の郷土の記憶は、地球規模の責務になっています。私からは、あなたたちの声はオスロにまで届いた、と保証できます。そして、私たちが耳を傾ける勇気を保ち続ける限り、これからも皆さんの声は永く聞かれ続けるでしょう。
会場に集った若い皆さん、あなた方はこうした記憶の将来の守り手です。今後は、あなた方がこの地の記憶を保護していく担い手なのです。たいまつを受け継いでください。沈黙を広がらせてはなりません。物語を伝え、歴史を学んでください。忘却にあらがい、声を上げてください。オスロの授賞式で私が申し上げたように、私たちが生き延びられるかどうかは、そこにかかっているのです。冒頭に申し上げた、ラッセルとアインシュタインの言葉に立ち戻って、締めくくりにさせてください。「あなた方の人間性だけを思い起こし、そのほかは忘れよ」
最後にお知らせですが、ノルウェー・ノーベル賞委員会は今月27日、東京で上智大学との共催で、核軍縮に関する大きなイベントを開きます。私は、日本被団協の田中煕巳(てるみ)さん、児玉三智子さんと共に、基調講演を行います。このセミナーでは、これまでに達成できたことや、世界が現在直面する課題についての最新の分析に基づいて、核軍縮の現状把握に努めます。日本、ノルウェー、その他世界各地から専門家たちが登壇します。皆さんもぜひ、ご参加下さい。
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