緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎①
25年7月24日
空き家となった実家を訪れて、底冷えがする中、ひとり黙々と整理する日々が続いた。
冬枯れの庭にはサザンカの花が鮮やかで、紅(あか)い梅や白いコブシも咲いていた。季節の移り変わりははやく、気がついたらツツジが咲いていた。仏壇の後ろから脚の長い蜘蛛(くも)が這(は)い出したのはそんな春の午後だった。
築45年の昭和の家には6年前に母が施設に移って以降、だれも住んではいない。留守番の蜘蛛にひどい仕打ちもためらわれ、網戸を開けてホウキで春の光の方へ追いやった。一瞬、虹色に光る糸が見えた気がした。
黒塗りの大きな仏壇も空き家といっていい。金色の阿弥陀如来像も名号の掛け軸の御本尊も、今住んでいるマンションの仏壇にすでに移し、魂抜きの供養も終えていた。
仏壇の下の戸棚から父の告別式のハガキがでてきた時、胸がかすかに痛んだ。
父の亡骸(なきがら)を病院から家に運び、一晩、ここで過ごしたのは、母の願いで、その母も昨年11月に94歳で亡くなった。長くだれも住んでいない家に母を連れ帰ることはできなかった。
紙の束の底から変色した二十数枚の薄い紙片が入った茶封筒がでてきた。
紙片には祖父の名がある。昭和19年8月14日のスタンプが押され、旧字で「証明書」と印刷されている。用件欄には「広島造船所へ転勤」と記してあった。(せいらい・ゆういち 作家=長崎市)
(2025年7月24日朝刊掲載)
冬枯れの庭にはサザンカの花が鮮やかで、紅(あか)い梅や白いコブシも咲いていた。季節の移り変わりははやく、気がついたらツツジが咲いていた。仏壇の後ろから脚の長い蜘蛛(くも)が這(は)い出したのはそんな春の午後だった。
築45年の昭和の家には6年前に母が施設に移って以降、だれも住んではいない。留守番の蜘蛛にひどい仕打ちもためらわれ、網戸を開けてホウキで春の光の方へ追いやった。一瞬、虹色に光る糸が見えた気がした。
黒塗りの大きな仏壇も空き家といっていい。金色の阿弥陀如来像も名号の掛け軸の御本尊も、今住んでいるマンションの仏壇にすでに移し、魂抜きの供養も終えていた。
仏壇の下の戸棚から父の告別式のハガキがでてきた時、胸がかすかに痛んだ。
父の亡骸(なきがら)を病院から家に運び、一晩、ここで過ごしたのは、母の願いで、その母も昨年11月に94歳で亡くなった。長くだれも住んでいない家に母を連れ帰ることはできなかった。
紙の束の底から変色した二十数枚の薄い紙片が入った茶封筒がでてきた。
紙片には祖父の名がある。昭和19年8月14日のスタンプが押され、旧字で「証明書」と印刷されている。用件欄には「広島造船所へ転勤」と記してあった。(せいらい・ゆういち 作家=長崎市)
(2025年7月24日朝刊掲載)