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連載・特集

緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎②

 祖父は三菱重工業長崎造船所の元職工で、耳が悪かった。

 祖父が、広島と長崎で二度被爆したという話は聞いたことはある。父が何度か口にしたが、あいまいで具体的なことはわからない。

 父の妹の、私の叔母もその話をしたが、当時、2歳だった叔母も詳しくは知らないという。父の話で印象に残ったのは、「そげん(そんな)みっともなか(みっともない)話、ひとには言うな」と、祖母が強い口調で祖父を戒めたという話だ。

 祖母は孫の私をかわいがってくれたというが、私が5歳の時に亡くなり、葬儀の記憶がぼんやり残っているほかには、その顔も声も記憶にない。

 穏やかで無口な祖父とは違って険しい性格だったらしく、父も母も叔母も困惑していたのは思い出話でわかった。

 祖母の「みっともなか」というのはどのようなニュアンスだったのか、前後の事情も真意も知りようもないのだが、あまりにひどすぎる言いようで、今でも思い出すたびに胸がざわつく。

 昭和48(1973)年3月28日に76歳で祖父は亡くなった。

 子どもの頃、祖父としばらく同居していたが、耳が悪かったこともあり、ほとんど話はしなかった。被爆の話など一言も聞いたことはない。

 「広島造船所へ転勤」と記した一枚の古びた証明書は、明治の人間らしからぬ、穏やかな祖父を思い出させた。(作家=長崎市)

(2025年7月25日朝刊掲載)

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