自利利他 我も他も全て良し 梵大英 <65> 思いはせる8月6日
25年7月28日
大切に納められた法名
先日のことだ。ご門徒さんが自宅をリフォームされ、お仏壇を新調することとなり、今までのお仏壇への感謝の法要をお勤めすることとなった。私自身、何度もお参りしているが、100年近く当寺の歴代住職もお勤めしてきた歴史の詰まったお仏壇だ。身が引き締まる思いがする中で、ご家族とともに最後の時間を過ごさせてもらった。
お勤めの後、ご本尊などを新しいお仏壇へ移す作業に入った時のことだ。引き出しを開けると、ご先祖の法名を記した紙束が出てきた。「これはおじいさん、これはひいおばあさん」と、ご家族と照らし合わせをしたところ、誰のものか分からない法名が2人分あった。
よくよくご命日を見てみると昭和20年8月6日とあった。想像ではあるが、ご先祖に縁のある方で、広島原爆の当日、被爆し亡くなられたのだろう。ご先祖の方が悼む心で、法名をお仏壇の中に大切に納められたのではないか。子や孫の代までは、そのお話が伝わらなかった。いや、あえて伝えなかったのかもしれない。
間もなく訪れる原爆の日。当時の広島市内は青空が広がり、暑い夏の一日が始まっていた。被爆された方にお話を聞くと阿鼻(あび)叫喚と表現される一方で、ただただ静かな暗闇の中、人々は声を出さずゆらりゆらりと歩いていたともいわれる。私たちが想像だにできない状況に間違いない。
その法名の方は「8時15分」まで、どのような時を過ごしていたのだろうか。どんな未来を描いていたのだろうか。そしてどんな最期を迎えられたのか。それを知る由はないが、法名は縁あって私までたどり着いてくださった。せめて私は、この方々の人生に思いをはせたいと思う。
その法名を記した紙は、私が預かることとなった。私のお寺では毎年8月6日の午前8時15分に鐘を突き、その後に本堂で追悼法要を営んでいる。今年は本堂に法名をお供えし、お勤めさせていただくつもりだ。(専法寺副住職=三次市)
(2025年7月28日朝刊掲載)